2024-02

2022・10・17(月)クラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団

      サントリーホール  7時

 先日都響に客演して聴衆を沸き立たせたフィンランドの新鋭、いま欧州指揮界で旋風を巻き起こしているクラウス・マケラが、昨年秋にその音楽監督に就任したパリ管弦楽団とともに来た。しばらく途絶えていた海外のメジャー・オーケストラの来日が、先日のロンドン響で再開され、それに続く第2弾ということになる。
 今日のプログラムは、ドビュッシーの「海」、ラヴェルの「ボレロ」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。アンコールはムソルグスキーの「ホヴァーンシチナ」の前奏曲「モスクワ川の夜明け」。

 クラウス・マケラの指揮も注目されたが、今日の3曲では特にこれといった仕掛けを施すほどのことはなく、専らパリ管弦楽団の本来の良さを引き出すことに徹底していたのではないかと思われる。

 事実、パリ管のこうした典雅で華麗な音色を聴いたのは、実に久しぶりのような気がする。それはミュンシュやカラヤンのあとの歴代のシェフ━━ショルティ、バレンボイム、ビシュコフ、ドホナーニ、エッシェンバッハ、P・ヤルヴィ、ハーディングらの下で聴いたパリ管からは、ついぞ聞けたことのないものだった。
 今日の3曲のプログラムの演奏では、まさしくフランスのオーケストラならではの、品のいい洗練された華麗さとでもいうべき音が甦って響いていた。それだけでも素晴らしいことではないか。

 「海」と「ボレロ」は、まあ、天下のパリ管なら、このくらいは容易い演奏だっただろう。
 だが、今日の「春の祭典」こそは、マケラとパリ管が四つに組んで、極限まで燃焼した演奏ではなかっただろうか。速めのテンポによる直球勝負の「春の祭典」だったが、オーケストラの沸騰ぶりは、いやもう見事の一語に尽きた。こういう熱狂的な演奏をパリ管から引き出したマケラの手腕もまた、並々ならぬものだったと言って過言ではないだろう。

 「モスクワ川の夜明け」は、リムスキー=コルサコフ版に近いと思ったが、どうも細部が違うような気がする。かといって、ショスタコーヴィチ版でないことは確かである。他に校訂編曲版があったか? ラヴェル? ストラヴィンスキー?

 なお今回は、佐藤啓による「照明演出」が施される、という触れ込みだった。「春の祭典」に付されたその照明演出なるものは、音楽の変化に応じ、第1部では青色、第2部では赤色をベースとして変化する色彩が、オルガンを中心に鶴翼上に拡がって投映されるという仕組みになっていた。だが、歯に衣着せずに言えば、企画者やスタッフには申し訳ないが、これはやはり「趣向を添えた」程度の意味に止まったのではないか?

コメント

クラウス・マケラ

東条先生が、雷に打たれていたように絶賛されていたマケラ、聴いてまいりました。
確かに才能豊かな若者だと思う。風景画としてしか聴いて来なかった「海」を、特に1楽章、踊りの音楽のように聴かせ、後半の「春祭」にまで繋げていた。「ボレロ」もスペクタクルにはせず、幅広く歌っていた。何よりも、楽員達が楽しそうにやりたいことをやっている風情があり、ここが欧州で人気の最大の原因だろう。指揮棒を完全に下ろしてしまう場面が何度もあり、楽員によっては焦りだす人もいた。余計な心配だろうが、若いのにこんなに重要ポストを沢山受けて大丈夫なのかしら、と思う。マリス・ヤンソンスも命縮めたし。豊富な人材のフィンランド指揮者陣のどこまで行けるか。

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