2024-03

2022・11・3(木)マクシム・エメリャニチェフ指揮新日本フィル

     すみだトリフォニーホール  2時

 1988年ロシア生まれの指揮者・ピアニスト、マクシム・エメリャニチェフは、これも今評判の若手だ。4年前の東京交響楽団への客演指揮の際は、こちらのスケジュールが合わず聴き逃してしまったのは残念だが、たしかあの日はラトルとロンドン響の来日公演を聴きに行っていたので━━。

 従って、エメリャニチェフの指揮を聴くのは今日が最初になる。今回、新日本フィルの11月定期で彼が指揮したのは、ハイドンの「交響曲第95番ハ短調」、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」(ソリストはアレクサンドル・メルニコフ)、ラフマニノフの「交響的舞曲」というプログラムだった。コンサートマスターは西江辰郎。

 噂に違わず、たいへん切れ味の鋭い指揮である。ハイドンの交響曲では、鋭いパンチを食らわせるような冒頭の和音からして、聴き手に強烈な印象を与える。全曲は明晰な隈取りを持った音づくりで進められ、それはちょっと冷たさが感じられなくもないが、一種の爽快さを備えていることも確かだ。その演奏のスタイルは、彼の新しいCDに聴くヘンデルのオペラ「テオドーラ」(エラート5419.717791)のそれとも共通しているだろう。
 聴いていて心が休まるというタイプのハイドンではないが、こういう容相のハイドンがあること自体は興味深い。

 プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」では、メルニコフがソリストに迎えられていた。彼は本当に多くの抽斗を持ったピアニストだが、今回はその豪壮で強面なピアニズムが発揮された演奏だった。
 彼は昔、プレトニョフ指揮東京フィルと協演してこの曲を弾いたことがあり、その時の演奏が実に若々しく颯爽としていたのに魅力を感じた(☞2007年10月19日参照)ものだが、今の彼の演奏にはもっと陰翳の濃い、強靭な凄さが加わっているように感じられる。

 なおこの曲のあと、メルニコフとエメリャニチェフは連弾でラヴェルの「マ・メール・ロワ」からの「美女と野獣」を弾いた。この演奏はあまりピンと来なかったけれど、弾く前に客の方を向いてニコッとしたエメリャニチェフの何とも親しみやすい表情に、客席から笑い声と拍手が湧いたことだけは書いておかなくてはならない。

 私の方は、1週間ほど前から咳が出始め、これは季節の変わり目になると起こる持病のようなものなのだが、そのためこの間シフや愛知室内オーケストラなどいくつかの演奏会を棒に振っており、実は今日も、演奏さなかにそれが止まらなくなった。周囲にも迷惑をかけていたのではないかと身の縮む思いで、休憩時間に事務局の了解をもらい、後半は3階席の隅っこの、あまり人がいない場所に移動させてもらった。
 だがこの3階席で聴く音が好いことは、多くの人が認めている通りだ。そこで聴くと、新日本フィルがエメリャニチェフの闊達な指揮のもと、バランスのいい音で鮮やかに高鳴っているさまが、1階席で聴くよりも明確に判り、快く享受することができる。ラフマニノフの「交響的舞曲」がこれだけ勢いのいい、叩きつけるような切れ味の良さで響いた演奏もそう多くはないだろう。音の厚みには些か不足していたものの、演奏に開放的な楽しさが溢れていた。それもやはり、3階席だから味わえたのではないだろうかと思う。

 このエメリャニチェフという指揮者、かなりアクの強い指揮者だが、とにかく面白い。6日には紀尾井ホールで、今度はピアニストとして「3種の鍵盤によるモーツァルト・リサイタル」なるものをやる。ますます面白い人だ。聴きに行けないのが残念だが。

コメント

お疲れ様です。お大事になさって下さい。
新日本フィルは、日本のオケには珍しく、「音色」を感じさせるオケで、気に入っているのだが、コロナ禍でこの音を作ったヴェテランが抜け、若干混乱もあるようだ。しかし、今日はこの難曲達を、楽々と弾いているように見受けられた。これは、若手の頑張りとと共に、指揮者のドライヴの巧みさと、自由にやらせるテクニックもあるのではないか。同世代だが、マケラに少し似ているところがある。
音楽に関係はないが、今日は盲導犬を3頭見かけた。演奏中気配すら消しているのは改めて凄いと思ったが、終演後、出口付近で2頭が鉢合わせの格好になり、片方が一瞬興奮したが、直ぐにおさまった。

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