2024-03

2022・11・9(水)アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団

      横浜みなとみらいホール  7時

 ボストン響の、音楽監督アンドリス・ネルソンスとの来日は、5年ぶり2度目になる。今日は初日公演。マーラーの「交響曲第6番イ短調」(《悲劇的》の副題は今回の日本公演では使われていない)1曲というプログラムでフタを開けた。

 次の日曜日に東京公演でも同じプログラムが演奏されるということも影響してか、名門ボストン響の演奏会としてはちょっと寂しい入りだったのが、遠路遥々訪れたオーケストラには気の毒だった。だが演奏は威力充分、曲が曲だけに、その爆発的なパワーは見事なものがある。

 第1楽章の最初の部分を聴いただけで、ボストン響のカラーには今も独特の個性があるな、という印象を受ける。特に弦楽器群の、スリムでしなやかな響き。それは、われらの小澤征爾が音楽監督だった時代とほとんど変わらない。
 ただし金管は豪快でブリリアントな響きになって、これはもう小澤時代とは全く違い、大昔の音楽監督シャルル・ミュンシュの時代━━1960年の来日の際にただ1回聴いただけだが、あれは強烈な印象だった━━が甦ったかのようだ。とりわけ今日は、トランペットの輝かしさが際立っていた。
 今にして思えば、小澤征爾が率いていた時代のボストン響は、随分室内楽的な精緻な音を出すオーケストラだったのだなあと、一瞬だったが改めて感慨に耽る。

 ネルソンスの指揮するマーラーの「6番」は、何の外連も、これ見よがしの誇張した演出もなしに、この曲が本来備えている並外れた怒号と咆哮のエネルギー性を率直に追ったものと言えようか。いかなる大音響のさなかにあっても、彼の指揮は均衡と節度を失わないので、音楽は暴虐的な狂気に陥るタイプの演奏にはならないのが好ましい。アンダンテ楽章での弦楽器群の豊かな起伏感を持った叙情美も、圧巻だ。

 新しい全集版を使っているはずだが、ただし第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテを置いた演奏で(この方がずっと好い!)、しかも第4楽章でのハンマーは3回目のものが復活されている。ついでながらこのハンマーはあまり大きいものではなく、それで大きな箱(戸棚みたいなもの)が叩かれる。

 演奏時間はちょうど90分。帰りがけにホワイエを見ると、何とネルソンスがサイン会をやるとかで、既に行列が出来はじめていた。今どき珍しいことだ。

コメント

ブリリアントな音圧

後方P席で聞きました。
馴染み有るP席の特性である倍音伴う生々しさはともかく、S席前列にいる様な、底から湧き上がる音圧を聞いたのは、初めてです。
ボストン響の、今の力量と、目を見張りました。
ホール半分位の客席も、割に小ぢんまりとまとまり、終演後も帰らず熱心な拍手に、打楽器の若い奏者が感極まって、胸に手を当て、バックステージや正面に何度もお辞儀をしていたのが印象的でした。
サイン会の列も含めて『ネルソンス ファンの集い』の様な演奏会でした。

演奏はどうでしょう。70年後半に『私の時代は来る』と制覇したマーラーですが、作曲者が感じた森の葉音や、湖畔のさざなみの音を聴く感性が、私たちには劣化した様です。マーラーにはまた、不具合の時代を過ごしてもらいます。

パート譜はタブレット

チューバからトロンボーン列の総譜は、
A4サイズのタブレットでした。

ソロも含めて、マーラーの金管の吹き量は大変な量感です。 総譜と言う全体を俯瞰出来る物では無く、おそらくパートしか映っていない狭い視野で、良く破綻なく演奏出来るものだなと、目を見張りました。

ピアノ伴奏者がタブレットで弾いているのは知っていましたが、オーケストラの、しかもマーラーで遭遇するとは思いませんでした。

私は演奏や譜面の事が分かりません。
照明で閃らないのか、とか、譜めくりどうしているの等、素人には驚きのトピックでした。

ホルン譜はパリ、トロンボーン譜はニューヨークから取り寄せと言う、ライブラリアンの苦労は今は昔の話なのでしょうか。

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