2024-03

2022・11・12(土)ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」

      日生劇場  2時

 「NISSAY OPERA」の一環、田尾下哲演出、柴田真郁指揮によるドニゼッティのオペラ「ランメルモールのルチア」。
 これは2020年に上演が計画されていたが、新型コロナ蔓延のため延期され、替わりに抜粋形式で上演されていたものだった(☞2020年11月15日)。

 今回はもちろん全曲の6回上演で、今日は4日目。配役はダブルキャストで、今日の出演は、高橋維(ルチア)、城宏憲(その恋人エドガルド)、加耒徹(ルチアの兄エンリーコ)、ジョン・ハオ(牧師ライモンド)、高畠伸吾(貴族アルトゥーロ)、与田朝子(ルチアの侍女アリーサ)、吉田連(エンリーコの家臣ノルマンノ)、田代真奈美(泉の亡霊、黙役)。
 管弦楽と合唱は読売日本交響楽団とC.ヴィレッジシンガーズ。なお「ルチアの狂乱の場」にはグラスハーモニカが使われ、ガラス楽器奏者として有名なサシャ・レッケルトが演奏していた。

 舞台の中央の小舞台とその前方のスペースで全ての演技が行われる仕組みだが、ただし時には前景で台本通りのドラマが展開され、その背後の奥舞台では普通は観客の目に触れない出来事が現実に視覚化される、という手法が採られる━━例えば第3幕の、エンリーコとエドガルドが憎悪をむき出しにして応酬している場面で、背景では、精神に異常を来たしたルチアが新床でアルトゥーロを刺殺する光景が同時に展開される、といった具合である。

 この手法は特に珍しいものではないが、もう少し照明に工夫を凝らし、二つの出来事が対比的に際立つように演出されていたら如何だったであろう? 
 その他、ルチアの宿命を象徴する「泉の亡霊」をあちこちに出没させ、徘徊させていたのは前出の2年前の抜粋上演に同じだが、これが何となくウロウロと歩き回るのみという印象を受けてしまい、ルチアのトラウマとの関連がそれほど的確に描写されてはいなかったのは惜しまれる。

 歌手陣は手堅く、特にエドガルド役の城宏憲の力のある歌唱が光っていた。
 ただ、何と言ったらいいか━━全員に、もう少し「役者然とした」雰囲気が欲しいのである。派手な立ち回りもいくつか折り込まれていたが、それでもみんな、何か枠に嵌ったような演技にとどまり、今ひとつ伸びやかな、リアルな迫力に不足しているのが残念だった。必ずしも舞台が暗い所為でそう感じられたわけではないだろう。

 その暗い舞台に合わせたのか、歌唱と、オーケストラを含めた演奏全体にも、もっと伸び伸びとした「歌」が欲しかった。柴田真郁が意図的にそうした悲劇的で、重い雰囲気を求めていたのかどうかは判らないけれども、これほど枠に嵌ったような、解放感の無いドニゼッティの音楽も珍しい。読響が何故かアンサンブルも粗く、音も薄かったのも、このオーケストラらしからぬ現象だ。

 ただし、「ルチアの狂乱の場」でグラスハーモニカを使用したこと自体は、好いことだろう(ちょっと聞こえにくかったところもあるのだが)。ルチアのこの世ならざる幻想を描くには、やはりこういう神秘的な音色の方がよく似合う。
 また、第3幕第1場の「嵐の場面」をカットせずに上演したことは当節では珍しくないが、同幕第2場でルチアの「狂乱の場」が終った後の短いシェーナの部分━━ライモンドがノルマンノの卑劣な行為を激しく非難し罵倒する場面をもそのまま生かしていたことは珍しいだろう。CDでは昔のヘスス=ロペス・コボス指揮のフィリップス盤がそこをノーカットでやっていたことを思い出す。ドラマとしては、この方が遥かによく筋が通るし、意義のある演奏であった。

 とはいえ今回、その場面に応じるような形で、全曲幕切れでエンリーコがノルマンノを叩きのめすという演出が施された(ように見えたが‥‥見間違いだったら御免なさい)上に、エンリーコを(エドガルドではなく!)中央に位置させて閉じたのは、ちょっとエンリーコに同情しすぎじゃあないかという気もするのだが━━。

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