2024-03

2022・11・15(火)新国立劇場「ボリス・ゴドゥノフ」

     新国立劇場  2時

 開場以来25年になる新国立劇場のロシア・オペラにおけるレパートリーは極度に貧しく、上演されたのは、僅かに五十嵐喜芳芸術監督時代におけるチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」(2000年10月)、若杉弘芸術監督時代におけるショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(☞2009年5月7日)、大野和士芸術監督の時代になってからの「エフゲニー・オネーギン」(☞2019年10月1日)と、同「イオランタ」およびストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」(☞2021年4月8日)の、計4作に過ぎない。

 邦人歌手にはロシア語歌唱が難しいという問題もあっただろう。大野芸術監督はロシアものの上演にも熱意を示しているようだが、新たに重なったコロナ蔓延とウクライナ侵攻問題のことも考えると、やはり気長に模索する他はないかもしれない。
 そういう中で今回、「ボリス・ゴドゥノフ」が予定通り上演できたというのは、むしろ僥倖、いや、よくやったと言えるだろう。

 今回のプロダクションは、ポーランド歌劇場との共同制作によるマリウシュ・トレリンスキ演出版だ。演奏は大野和士指揮東京都交響楽団。
 歌手陣はギド・イェンテンス(ロシア皇帝ボリス・ゴドゥノフ)、小泉詠子(その息子フョードル)、九嶋香奈枝(皇女クセニア)、金子美香(乳母)、アーノルド・ベズイエン(陰謀家の大貴族シュイスキー公)、ゴデルジ・ジャネリーゼ(修道僧の長ピーメン)、工藤和真(若い修道僧グリゴリー、のちの偽ドミトリ―)、河野鉄平(破戒僧ワルラーム)、青地英幸(同ミサイル)、秋谷直之(貴族会議書記シチェルカーロフ)、清水華澄(女将)、清水徹太郎(聖愚者の声)、ユスティナ・ヴァシレフスカ(フョードルと聖愚者の黙役)ほか。
 新国立劇場合唱団、TOKYO FM少年合唱団。

 使用された楽譜は、プロローグと4部からなる1869年の初版のあとに、1872年の改訂版から「クロームイの森(民衆蜂起の場)」を加えた、いわばシンプルな折衷版ともいうべきものだ。
 しかし演出には多くの斬新なアイディアが詰め込まれており━━例えばボリスの息子フョードルと聖愚者を重ね合わせることによりボリスのトラウマを増大させること、フョードルを身体障碍者としたこと、その将来を慮ったボリスが自ら彼を枕で窒息死させること、修道院から逃走したグリゴリーが目指すのはエストニアでなくモスクワのクレムリンだったこと(彼が扇動するのはロシアの民衆であり、ポーランド軍の助力は必要ない)、偽ドミトリーがピーメンをも殺すこと(過去を知られる危険を防いだのだろう)、最終場面でボリスが民衆に殺され、死体が逆さ吊りにされることなど、━━例はこれだけにとどまらない。

 これらはいずれもよく考えられたアイディアであり、史実との関連はともかく、全体の設定の中ではかなり筋が通る話だろう。
 新国立劇場が初めて「ボリス」を取り上げるに際し、今更17世紀初頭のロシア歴史を舞台に再現する必要もなかろうし、西欧の歌劇場ではありふれたものになっているこのような演出スタイルを取り入れるのも悪くないと思われる。
 ただ、欧州で行なわれている演出の中には、時にくどすぎる趣向が見られることがあって、今回も・・・・。

 なお今回のプログラム冊子が、「読み替え演出」によるドラマの内容について非常に詳細な解説を掲載していたことには、大いなる賛意を表したい。これまでは「ネタバレになる」として一切の説明を避け、ただオリジナルのストーリーしか載せないのが流儀だったが、そうなると「異なる解釈」を理解できぬ観客が嫌気を催し、歌劇場から遠ざかる結果を招きかねない、と私もあちこちで訴えていたので。

 演奏はすこぶる見事だった。オーケストラの音に厚みがあり、ムソルグスキーの音楽の暗い音色がよく再現されていたと思う。大野和士の指揮のもと、この劇場のピットでもこれだけ雄弁な厚いオーケストラの音も聴けるのだということを、久しぶりに証明してくれた例である。
 そして歌手陣も、イェンティンス、ベズイエン、ジャネリーゼの外来勢の底力のある声の素晴らしさはもちろん、邦人勢もワルラーム役の河野鉄平、グリゴリー/ドミトリーの工藤和真、女将の清水華澄をはじめ、みんな聴き応え充分だった。ロシア語の発音については、私は何とも言えないが━━言語指導を担当していた一柳さんからみればどうなのかは知らないが━━違和感は全くなかった。

 5時30分頃終演。カーテンコールや、そのあとのイヴェントにも参加したかったが、次のサントリーホールの開演時間との関係もあるので、早々と失礼する。

(ある点に関する指摘につき、非公開指定コメントをお寄せ下さった方に御礼申し上げます)

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今このオペラが上演できる国にいられることを無条件で喜べはしない複雑さはありますが、それでもやはり幸運だと思います。
上演演目の偏りについて、飯守前芸術監督がラインナップ説明会を開催した際に、ロシアの演目が含まれない不満を伝えたことがあります。飯守さんが「本当はボリス・ドゴゥノフをやりたかった」とおっしゃっていたことが強く印象に残っていて、数年後に大野さんが実現してくれたことは大いに称賛したいと思います。
ただあまりにも救いのない物語で、観劇後の精神的なダメージは大きい。これは演出の影響でしょうか。歌手も演奏も本当に素晴らしくてもう一度聴きたいと思っても、さすがにリピートできません。ピーター・グライムズを観た後の感覚と近いと思いました。
余談ですが、オペラでは大野芸術監督になるまでしばらくロシア語の演目がありませんでしたが、バレエ団で2013年にストラビンスキーの「結婚」が上演されています。かなり貴重な公演で盛り上がりました。

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