2024-03

2023・1・13(金)山田和樹指揮読響 マーラー「6番」他

      サントリーホール  7時

 黛敏郎の「曼荼羅交響曲」とマーラーの「交響曲第6番《悲劇的》」を組み合わせた超重量プログラム。どちらも超大編成の豪壮な音響に満たされた作品。今回も読響の巧さと、その音響の威力が際立った。コンサートマスターは林悠介。

 「曼荼羅交響曲」をナマで聴くのは実に久しぶりのような気がするが━━さて、前回はどこで聴いたっけか?━━冒頭の弦楽器の響きに、1960年代前半の日本の管弦楽作品特有の音を一瞬思い出して、懐かしくなる。

 だが、受容するこちらの感性の変化か、あるいは当時と今の日本のオーケストラの音の違いか、またはその両方かは定かでないけれども、作品の管弦楽法の実に豊かで雄弁で華麗であることに、そしてあの頃の日本人作曲家たちの気宇の大きさに今更ながら感銘を受けるというのも、私にとってはいつもの通りだ。
 黛敏郎は、團伊玖磨、芥川也寸志とともに「三人の会」のメンバーだったが、当時最も取っつき難いというイメージのあった黛が、最も未来志向で、最も長い生命を保ち続ける作曲家であったのは確かではないかと思われる。

 山田和樹の指揮は明快そのもの、下手な演奏だったら晦渋なものになりかねないこの「曼荼羅交響曲」を輝かしい作品として聴かせてくれた。

 山田和樹の指揮するマーラーの「6番」を聴くのは、いつぞやの日本フィルとのツィクルス以来のことになる。今回は第1楽章が意外に軽く、あの行進曲リズムも決しておどろおどろしくなく、むしろ弾むように演奏されて行ったのには驚いた。ティンパニがあまり「轟くような」音を出していなかったことがその最大の原因かもしれない。あのイ長調からイ短調へ瞬時に変わるモティーフも、かなりあっさりと、こだわりなしに通過してしまう。
 先日のネルソンスの指揮もそうだったが、こういう深刻にならないマーラーも、現代の指揮者としては珍しくはなくなってしまったのだなあと、あれこれ思いをめぐらしながら聴いていた次第だ。

 読響の演奏は、第1楽章では少々がさついており、弦の音色もがりがりとしていて、刺激的になっていた。リハーサル時間が少なかったわけでもないだろうに、・・・・と思っていたら、何とこれが第2楽章(スケルツォ)を経るに従い、目覚ましく変って行く。第3楽章では豊麗な弦の音色が映え、魅力的な叙情の世界になる。
 そして終楽章は見違えるよう。第1楽章ではあれほど刺激的な音だった弦がふくよかな厚みを取り戻し、この怒号に次ぐ怒号という感の第4楽章をも、少しも刺激的でなく、美しい闘争のように描き出した。如何なる怒号も濃密で調和が取れている演奏というのは珍しい。これまで私が聴いたこの第4楽章の中でも、これほど均整を保った演奏は稀である。ここでの読響の演奏のレベルの高さには、魅惑された。

 ただし、2回のハンマーの音は、何か金属が壊れかけたような音で、とても「英雄を打ち倒す運命」というイメージの重々しい音ではない。これだけが画竜点睛を欠くという感であった。
 なお両端楽章で「遠方から響いて来る」カウベルは、ふつうステージ袖の中から響かせるが、今回はP席後方、オルガンの両側下にあるドアを開いて、その外側に立って鳴らすという方法を採っていた。

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