2024-03

2023・2・18(土)三木稔「源氏物語」日本語版全曲日本初演

      Bunkamuraオーチャードホール  2時

 2000年6月にセントルイスで世界初演され、2001年9月に日生劇場で日本初演された、このコリン・グレアム台本、三木稔作曲による3時間に及ぶ大作オペラ「源氏物語」━━それらはいずれも英語版によるものだったが、今回は日本語版で全曲が上演された。

 三木稔は英語版と、自ら考えていた日本語歌詞版との両方を念頭に置いて作曲した、と伝えられるが、確かに歌詞に違和感はない。
 私は22年前の日生劇場での上演を観ていなかったので、今回は初めての体験なのだが、岩田達宗の演出と、田中祐子の指揮で紡ぎ出されたその壮麗な舞台と音楽には、ひたすら驚嘆するのみであった。

 第1幕が約100分、第2・3幕は計約75分。その構成の中で、全ての場面が切れ目なしに展開される。
 音楽は平安の壮麗な絵巻物といったような構築で、実に緻密に書かれている。西洋音楽のオーケストラにいくつかの和楽器が加わり、雅楽の手法も取り入れられている(これが実に美しい!)。総じて極めて細かいニュアンスで登場人物の性格やドラマの変化が描かれていて、作曲者の優れた力量が窺われるだろう。

 ただし、絵巻物のよう、ということは、ドラマの面でも音楽の面でも、圧倒的なクライマックスという場面がないということにも通じる要素があって━━それは原作の性格からしてやむを得ないと思われるのだが、舞台ものとしては多少のハンデを負うかもしれない。
 光源氏が流罪を許されるきっかけとなる「須磨の嵐」の音楽は、叙情的な全曲の中ではそれなりにかなり激しいものだが、西洋オペラのようにドラマの転回点として猛烈なクライマックスとして印象づけるというほどのものにはなっていない。そこが日本的な、過度にならぬということなのか‥‥。

 舞台美術はシンプルだが美しい。紗幕と背後の階段とを巧く使った岩田達宗の演出により、同一平面上での演技でありながら、場面の移り変わりはよく理解できる。
 平安時代の衣装が極めて美しい。特に女声陣は、妍を競うという感だ。登場人物は遠距離から一見すると、それぞれ衣装の色に違いがあるとはいえ、誰が誰だか判りにくい、という傾向はあるが、これを解決するには、紫式部の原作をある程度頭に入れておく必要があるだろう。

 終結近く、赦免された光源氏が明石を去り、紫上と再会するさまを、捨てられた明石の姫がじっと悲し気に見守る(ここは紫式部の原作とは異なる)余韻嫋々たる設定や、その明石の姫が前景に位置し、光源氏らが後景に位置しているという光景がいい。つまりそこでの主人公は、{明石の姫}のほうなのだ。このあたり、岩田達宗の演出も、なかなか泣かせる術を心得たものである。

 それにしてもこの台本、原作の全篇に流れる真摯で強烈な無常観が、外国人のグレアムの手にかかると、光源氏という人物が、多少ドン・ジョヴァンニ的な性格を帯びてしまったようだ。日本人の私たちはそれを感じることができるのだが━━西欧の観客にはどうだったろうか。

 配役はダブルキャストだが、これだけ多くの歌手陣を揃えるとはたいしたものである。
 今日(初日)は、岡昭宏(光源氏)、山田大智(桐壺帝)、佐藤美枝子(六条御息所)、向野由美子(藤壺)、相樂和子(紫上)、丹呉由里利子(葵上)、長島由佳(明石の姫)、森山京子(弘徽󠄀殿)、海道弘昭(頭中将)、江原啓之(明石入道)、市川宥一郎(朱雀帝)、河野めぐみ(少納言)、和下田大典(惟光)。
 東京フィルハーモニー交響楽団、山田明美(二十弦筝)、叶桜(中国琵琶)、日本オペラ協会合唱団。松生紘子の舞台美術、大塚満の衣装、大島祐夫の照明━━ほか。

 田中祐子の指揮がいい。
 六条御息所を佐藤美枝子(別キャストでは砂川涼子)が歌い演じるというのは意外だったが、この舞台では彼女の怨念の所業には、音楽でも舞台でもことさら怪談じみて描かれるという要素はなく、むしろ光源氏の心変わりの生き方を非難し叱咤する役割として描かれているので、納得できるというものだ。
 また、弘徽󠄀殿のほうは、アンチ光源氏のヒステリックな母后として描かれていたが、ベテラン森山京子の怪演(?)が、なだらかな人物像が並ぶ舞台における一つのアクセントとして光っていた。

 5時半終演。日本オペラ振興会の力作で、極めて意義深い上演として記憶されるだろう。主催者としては、他にBUNKAMURA、日本演奏連盟、東京都(都民芸術フェスティバル)、東京都歴史文化財団が顔を揃えている。

 なお余談だが、昭和22年に出版された島津久基著「鎌倉つれづれ草」の中に、「須磨巻」の突然の天変地異について触れた部分がある。
 須磨のみならず京都にも吹き荒れたこの嵐は、光源氏の流罪が許される機会となったドラマの大転換の場なのだが、紫式部がここで嵐の場面を投入したのは、「己の心に己の所業を問うてみよ」という天の怒りとも解釈できる出来事という劇的効果を狙っていたのは確かだが、そのほかにも、春先(3~4月)にはそのような天候急変がしばしば起こるという科学的な根拠を知悉していたからではなかったか、という見解を、春のいろいろな嵐の例を弾いて説明している。つまり、単なる「あーら怪しや、一天俄に掻曇り」といった安手の効果を狙ったものではなさそうだ、として、紫式部の知識の幅広さを指摘しているのである。
 その嵐に怯え、光源氏の赦免を提言した朱雀帝に、母の弘徽󠄀殿が「凄い雨の晩などには、始終心に思っていることが恐ろしい夢になって来るもの。軽率に御驚きになってはなりませぬ」と諭すのも、迷信に囚われぬ自由な女性の存在を描いている(この辺は当オペラとは全く異なる設定だが)のも、紫式部の近代的な科学精神を窺うことができる、というのである。興味深い指摘である。

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