2024-03

2023・2・28(火)ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル

       東京オペラシティ コンサートホール  7時

 今から33年前、プレトニョフがロシア・ナショナル管弦楽団を創設してその指揮者となり、時のエリツィン大統領らを招いて颯爽と旗揚げ公演を開催し、所謂「ニュー・ロシア」の寵児のひとりとなっていた頃、ロシアの音楽ファンの間ではプレトニョフについて「指揮者になろうと何になろうと構わないけれど、ピアノだけはやめないでくれ」という悲痛な声が上がっていた、という話をモスクワ在住のロシア人通訳から聞いたことがある。
 その後、一時は本当に「おれはもうピアノは弾かない」と言っていた時期もあったが、数年後に「SHIGERU KAWAI」のピアノと出会ったのをきっかけにピアニストとして復活したことは周知の通りである。こうして今でも指揮とピアノの両面で活躍してくれているというのは、本当に有難いことだ。

 この日のリサイタルの客席はほぼ満杯、聴衆の反応も熱狂的だった。どうやら今でも日本では、プレトニョフのピアニストとしての人気は、指揮者としてそれよりもかなり高い、といった雰囲気である。
 確かに、指揮者プレトニョフは先日の東京フィルを指揮した演奏会に聴く如く非凡な人ではあるが、今日のピアノ・リサイタルなどを聴くと、やはり彼はまさに世界屈指の個性的な名ピアニストである、という印象を得るだろう。

 今日のプログラムはスクリャービンの「24の前奏曲Op.11」と、ショパンの「24の前奏曲Op.28」。前者における演奏は、重々しく翳りのある色合いを湛えた音が驚くほど表情豊かに変化しつつ進んで行くように私には感じられたし、また後者での演奏は、これほど沈潜して憂いに富んだ音色のショパンは稀だろうという印象さえ受けてしまう。
 妙な表現になるが、今日プレトニョフがカワイのピアノで紡ぎ出していたこのショパンの「前奏曲集」の音は、ポリーニやピリスの演奏のそれに比べると、まるでオクターヴ低い音で弾いているかのような、そんなイメージにさえ感じられるほど翳りが濃く、個性的な表情のものだったのである。

 60歳代半ばに達し、かつての「自由な故国」を失ったに等しい状況にあるであろうプレトニョフの、これが今の心境が投影された演奏なのだろうか? こういうショパンは、些か恐ろしく感じられるが、また興味深くもある。

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