2024-05

2023・3・5(日)びわ湖ホール プロデュースオペラ
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2日目

       滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール  1時

 今回の歌手陣はシングル・キャスト、初日と同一の顔ぶれだ。人間だから、日によってその演奏の雰囲気や出来が異なるのは当然のこと。
 初日にはあまり本調子と言えなかったらしい福井敬も、今日はベテラン本来の実力を発揮し、役柄に気品と安定感を取り戻させていた。

 またハンス・ザックス役の青山貴は、前回よりも更にスケール感を増し、この役柄に相応しい風格を備えるに至っていた。日本のザックス歌手がまた一人誕生した、と言っていいだろう。
 ベックメッサー役の黒田博も、前回よりも三枚目的な性格を強くして、更に可笑しみを誘う演技を見せてくれた。この役柄としてはこれまで観たことがなかったような解釈表現であることは先に触れた通りで、極めて興味深いものであった。それにしても、まさか黒田さんがこういうキャラを披露するとは━━。

 大西宇宙がえらくカッコいいパン屋の親方を、平野和が不気味なほど凄味のある夜警を、妻屋秀和が滋味豊かな父親ポーグナー(金細工師の親方)を、八木寿子が優しいマクダレーネを、清水徹太郎が元気な徒弟ダフィトを演じていたのも前回通り。森谷真理は中盤から尻上がりに愛らしいエファを演じて行った。歌唱はみんな、もちろん満足すべき出来にあったし、京都市交響楽団も前回をさらに上回る豊麗なワーグナーを聴かせてくれた。従って、沼尻竜典の指揮のもと、音楽的にも極めて水準の高い上演であったことを特記しておきたい。時に生じたオケと歌との音のずれは、それぞれの位置の問題ゆえで、仕方がないだろう。本格的な舞台上演においてさえ、そういうことは起こり得るものだ。

 沼尻竜典芸術監督がびわ湖ホールとともに、2010年10月の「トリスタンとイゾルデ」を皮切りに取り組んで来たワーグナーのスタンダード・レパートリー10作品上演シリーズも、今回の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を以って、こうしてついにめでたく千秋楽を寿いだことになる。その偉業を讃えたい。
 東京方面からも多くのワグネリアンたちが「びわ湖ホール詣で」を行なったが、特に西日本のオペラ愛好者たちにこれだけの水準のワーグナー上演が提供されて来たことの意義は大きいだろう。今日はチケットも完売で、当日売りも出なかったとか。熱心の極みだ。素晴らしい。

 終演後に帰京。東海道新幹線、小田原駅で人が線路に入ったとかでまた遅れる。それでも25分程度の遅れで済んだのは有難い方だ。今までは交通トラブルに遭ったことはほとんどなく、たいてい間一髪ですり抜けていたのだが、どうも昨年9月23日の例の一件以来、ツキが落ちたようである。

コメント

京響の力

  今回のマイスタージンガーも記憶に残る名演奏・名舞台でした。とはいえ、長さを感じなかったという感想もあるようですが、自分にはマイスタージンガーは長いです。3幕それぞれの個性が、たとえばワルキューレやパルジファルのように明確ではなく、ぼんやりしているとずっと同じことをやっているように思えてしまいます。自分はワグネリアンでもなく、オペラの経験も多くはないので、マイスタージンガーは難しいと今回も感じました。
  マイスタージンガーも2公演ともききましたし、ヴェルディシリーズ最初のドン・カルロからびわ湖ホールには通っていますが、この20年あまりのオペラ上演で、最大の功労者は京都市交響楽団だと思います。歌手の素晴らしさはもちろんですが、今回もホルンは驚異的にうまかったし、2種類のハープをそれぞれの歌手に合わせて弾き分け、さらに初日と2日目でもニュアンスを変えたハーピスト(彼女は京響の宝です)にも最大限の賛辞を贈りたいです。
  京響は広上さんが大きく育て上げたと言われ、それは間違っていないと思いますが、自分は、京響躍進のもとはびわ湖ホールのピットにあったと確信しています。定期演奏会をきいていて、音楽が変わったと感じたのは、びわ湖ホールでのトリスタン以降です。京響はびわ湖ホールのオペラを支える大きな力となり続け、自らも演奏水準を飛躍的に高めました。その相乗効果を実感します。
  この4月からは、京響には新しいシェフが就任します。新たなシェフも、昨夏、松本で見事なフィガロの結婚を指揮しましたので、まだしばらくは京響の演奏をこころから楽しめると思っています。

>タンノイ様

京響躍進の源がびわ湖での活動にあるというご意見には2万%賛成ですが、びわ湖トリスタンでピットに入ったのは大阪センチュリー交響楽団でした。

京都市交響楽団ではなく

  びわ湖ホールでの2010年の「トリスタンとイゾルデ」は、京都市交響楽団ではなく、大阪センチュリー交響楽団(改名前)がピットに入りました。上記投稿の文脈からだと誤解を招きかねないので、補足させていただきます。
 当時は補助金削減で大阪センチュリー交響楽団が存続の危機にあったときで、橋下大阪府知事に実際に聴いてもらって理解を得ようとしたのですが、結果的に逆効果となったようです。以下、少し長くなりますが、大阪府議会の議事録などを元に、私が以前書いたものから引用します。

  2010年10月の府議会府民文化常任委員会で大阪センチュリー交響楽団の評価について問われた当時の橋下知事は、次のように答弁している。
 「僕は評価については、先週の日曜日、『トリスタンとイゾルデ』というのをびわ湖ホールへ行ったんですよ、センチュリーのオペラ。沼尻さんともちょっとお話をさせてもらいましたけれども、やっぱりああいうワーグナーの…、僕知識がないからあれですけど、何かああいう曲ですよね、僕は四時間も五時間もあるあれをやろうと思うと、毎日毎日営業活動をやってるような状態ではなかなかできないと。センチュリーみたいな形で公がしっかり支えているという楽団だからできるんですよなんてことを沼尻さんにも言われて、ああまあそういうもんなのかなあという思いがあったんですけども、だからといって、じゃ一つの楽団だけを恒久に支え続けるというのもどうなのかという、ちょっとそういういろんな葛藤もありました」
 このときは、補助金は全廃するものの財団の基本財産20億円を今後のオーケストラ運営に充てることが府議会で議論されていた時期に当たる。その最中であった知事に対するセンチュリー交響楽団の対応にも苦言を呈している。
  「スポンサーの代表として行ってあいさつをしてる、そういう僕に対して、とてもじゃないですけど、民間感覚での態度、振る舞いではないなというふうに感じましたね。あれだったらスポンサーは多分集まらないですよ」
  上記の表現が答弁中に繰り返されている。実際に現地でどのようなやり取りがあったのかは詳らかでないが、よほど腹に据えかねたことが推測できる。財政再建プログラムの発表以来、オーケストラ支援の削減に伴い広がった亀裂が、このオペラが上演された大津祭の日に埋めがたい領域にまで広がったのだろう。
  長時間の公演がはねた後、湖岸のドイツレストランでビールを飲んでいたら、打ち上げなのか主役の内外の歌手たちが隣席にやって来た。少し遅れて到着した沼尻氏は公演の疲れか食欲もなさそうだったのは、別の理由があったのかも知れない。何らかの財政的支援がなければクラシック音楽、就中オーケストラやオペラは立ち行かないということを、常識と捉えるか、非常識と捉えるか、芸術家と政治家との溝はあまりにも大きい。

 GIACOMO氏の御高察には、小生も度々、考えさせられる所が多く、共感し、敬意を表したい。
 当該人物は、わが大阪が誇る芸能にも同様な姿勢で、歌舞伎があるからいらない、などと言っていたが、両芸能が深い結びつきなのを理解せず、歌舞伎でも、恒例の7月興行への祝辞もなかったとのこと。逆に、この夏には、不法行為のあった、大学の競技団体を個人の問題と発言する有り様。先ずは、どのような人物が文化にたずさわる者として相応しいのか、真剣に考えなければならないと思う。
 さて、これは小生の考えだが、個人の信条や交遊は、自由ではあるが、残念ながら、例のツーショットおじさんが、この人物の熱烈支持者であるのに、びわ湖Hのアンサンブルの一部の歌手が、コロナ期間中もおじさんと、写真を撮り、おじさんがアップすることが繰り返されていた。
 おじさんは、3月29日に、大阪メトロの延伸について、大阪市民の金を、田舎の人の為に使うとは何事だ、などと差別的な、唖然とする記事をHPに載せている。
 びわ湖の面々も、若いとは言え、芸術を取り巻く環境、政治、付き会う人物の社会性などについて、慎重かつ毅然した考えを持ち、対応をしなければならないだろうし、それなくしては、市民、聴衆の支持も求めることもできないだろう。関係者の指導を求めたく思う。

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