2024-03

2023・3・22(火)広上淳一指揮OEK東京公演

        サントリーホール  6時30分

 OEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)が、昨年9月より「アーティスティック・リーダー」という肩書で事実上のシェフに就任している広上淳一と東京公演。
 シューベルトの「交響曲第5番」、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調」(ソリストは米元響子)、ベートーヴェンの「交響曲第2番ニ長調」というプログラムだった。ソリストのアンコールはパガニーニの「24の奇想曲」からの「第24番」、オケのアンコールはレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア第3番」からの「イタリアーナ」。コンサートマスターはアビゲイル・ヤング。

 広上淳一と、このOEKとのコンビの演奏は、私は(多分)初めて聴く。岩城宏之や井上道義によって独特の個性を築いて来たOEKが、新しいシェフの広上の指揮のもとでどのような特徴を持つオーケストラになるか、興味津々なものがあったが、予想通り、これまでとは全く異なるような、精微なニュアンスと柔らかい音色を備えた、完璧に近い均衡を示す管弦楽団としての姿が立ち現れた。

 弦は8-6-4-4-3という編成でしなやかに美しく、これを囲む管楽器群がまた実に絶妙のバランスで鳴っているのもいい。ダイナミックなベートーヴェンの「2番」でもその音の均衡は見事で、特に第4楽章での、故・朝比奈隆氏がいみじくも表現した「いきなり悪魔が飛び出して来るような」フォルティッシモを含むデュナミークの頻繁で急激な交替のさなかさえ、音楽の容が全く崩れずに動いているのにも舌を巻かされた。

 ただ、余計な印象をひとつ言わせていただくなら、実に見事な均衡であることは事実なのだが、あまりに整い過ぎていて、何かもう一つ、どこかに残されたものがあるんじゃないか━━ということを意識させられてしまうのである。もっともこれは、以前からOEKの東京公演を聴くたびに感じることだったのだが。断っておくが、それは冷たい演奏だったというのでは全くない。

 開演前には、例の如くロビーにずらりと鶴翼状に拡がって、入って来る客たちを見つめるスーツ姿のビジネスマン軍団。以前、金沢の鮨屋だったかで同席(井上さんもいたと思う)した大スポンサーのレンゴーのお偉方が、「あれは感じ悪い」との私の意見に「そりゃいけない。すぐやめさせる」と同意して下さり、直後の東京公演ではその通りになったこともあったが、1,2年経ったらまた元の木阿弥になってしまったようで。

 また今日は、2階席の私のすぐ前の席に座っていた紳士が、いかにも「音楽好きの奥様」に引っ張られて無理に来たという雰囲気で、特にベートーヴェンの間じゅう、数枚のチラシを音を立てて何度も「大きくめくって」読むわ、隣の奥様に「まだか」と言わんばかりに顔を寄せるわで、気を散らされること夥しく、演奏に集中するには大変な努力が要った。奥様はプログラムの楽章説明の個所を指して「今ここ」と教えてやっていたが、‥‥しかし考えてみるとこの紳士、つくづくお気の毒な立場の人ではある。もっとチラシがたくさんあったら、せめて退屈しのぎになったろうに。

コメント

お疲れ様です。
久しぶりのOEKだったが、ここでは本拠地に合わせたバランスをサントリーに持ち込んだ感じ。迫力不足。

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OEKといえば、岩城宏之さんが在命中に石川県音楽堂で聴いた、武満徹の「地平線のドーリア」とブラームスの3番の超名演が忘れられません。一種の「行儀よさ」とでもいうスタイルはそれ以前に大阪で聴いた時に感じましたが、金沢で聴いたときには感じませんでした。

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