2023-06

2023・3・28(火)大野和士指揮東京都響&コパチンスカヤ

        サントリーホール  7時

 プログラムは、リゲティの「虹」(アブラハムセン編曲)および「ヴァイオリン協奏曲」(ソリストはパトリツィア・コパチンスカヤ)、バルトークの「中国の不思議な役人」全曲(合唱に栗友会合唱団)、最後に再びリゲティの「マカーブルの秘密」(ソロはコパチンスカヤ)という、面白い選曲と配列。
 コンサートマスターは、この日が在任最後の定期となる四方恭子。

 コパチンスカヤ節が炸裂したと言ってもいい今日の演奏会だったが、いや全く凄かった。この「ヴァイオリン協奏曲」は、彼女は2010年にアルミンク指揮の新日本フィルと協演して東京で演奏していたはずだが、私はそれを聴いていなかったので、彼女のこの曲の演奏を聴くのは、今回が初となる。
 独特の見事な技巧を駆使した演奏もさることながら、とりわけ最終楽章でのカデンツァの多彩さ━━楽器を弾きつつ歌い、奇声を発し、踊り、足を踏み鳴らし、ステージを動き回り、オーケストラの奏者たちを挑発するといった「身体運動」による演奏を展開するさまは壮烈だ。

 だが、そんな凄まじい奇行(?)を演奏の中に注入しながらも、音楽の形を崩すことが決してない、というのが凄い。
 このパフォーマンスは、「マカーブルの秘密」で更にエスカレートし、奇抜な扮装をして、サングラスをかけ、奇妙なこと(歌詞はある)をわめきながら登場し、演奏には笑いや足踏みやステージ疾走なども折り込み、演奏面で都響の奏者たちを挑発し応酬させ、果ては客席をも挑発するといった騒々しさをつくり出す。指揮者は途中で「もう耐えきれない、誰か代わって指揮して下さい!」と悲鳴を上げるという具合だ。

 こういった荒業はコパチンスカヤならではのものだろうが、それが白々しい大芝居にならず、ひとつの演技として完成されていて、しかも音楽を失わせない、というところが彼女の彼女たる所以でもあろう。
 しかも今夜は、これが最終ステージとなる四方恭子を巧みに立て、何度もパフォーマンスに巻き込み、協奏曲のあとではアンコールとして2人でリゲティの「バラードとダンス」を演奏するという演出も見せたのだった。

 こうしたコパチンスカヤの「怪演」に、ふつうなら指揮者とオケも食われてしまうところだろうが、そうならなかったのが今の大野和士と東京都響の快調さの所以である。
 バルトークの「中国の不思議な役人」全曲でのオーケストラは驚くほど精緻で、シンフォニックともいえるほどのバランスの良さを打ち出していた。それは不思議に節度を保った演奏で、この曲に関して言われるバーバリズムとか、原始主義とか、怪奇な雰囲気とかいったものは薄められてはいたものの、むしろこの曲のしなやかな美しさを浮き彫りにしていたと言ってよいだろう。

 だいいち、前後のリゲティの毒々しい作品の間で、この「中国の不思議な役人」までが荒々しい演奏になっていたら、聴く側でも耐えられないだろう。いい緩衝地帯━━と言っては不穏当なら、今日のプログラムの中でシンフォニー・コンサートとしての風格を保つ役目を厳然と果たしていたのがこのバレエ曲での演奏だった、と言っていいかもしれない。
 それにしても、コーラスの加わる全曲版をここに加えるとは、何と豪華な。
 この凝りに凝ったプログラミングは、以前の若杉弘音楽監督時代の都響を思い出させる。

 最後のカーテンコールは、四方恭子への感謝と労いの拍手で盛り上がりを極めた。

コメント

いつも楽しく拝見しています。先生がコパチンスカヤをどのように評価するか楽しみにしてました。
私は2010年の新日フィルとのリゲティも聴きましたが、その際はカデンツァに歌ったぐらいで極めて「まっとう」な演奏でした。それもあったので今回の「進化」には驚愕させられました。
ケージなどの実験音楽は正直よくわからなかったのですが、今回のような客席を巻き込む手法を見ると、二度と再現できない「音楽」というものの尊さ?が実感できたように思います。やはりこういうものは動画やCDでは味わえない生の演奏会の醍醐味でしょう。
それでいて、コパチンスカヤはきちんと楽譜を見ており、ただのいい加減なパフォーマンスではないことがわかり、素晴らしかったです。
今後も彼女がどのように進化するか楽しみです。とても衝撃的な演奏会でした。

大阪では

 大阪フィルの定期にもお越しになるかと思っていましたが、お見かけしませんでした。
 3月18日、ハルトマンの葬送協奏曲は恐るべき緊張感がみなぎった演奏で、陰鬱で激しい情念の迸り、客席の側も身じろぎする余裕もないぐらいでした。
 コパチンスカヤの弾くコンチェルトは、ソロパートだけではなく、オーケストラだけになる部分でも、バックの奏者に目を遣り、仕草や表情で伝える。つねに全曲として捉え没入するのが、そこらのソリストとの大きな違いです。オーケストラ奏者も思わず引き込まれてしまいます。まさに、いま音楽が生まれるという瞬間に立ち会うような感覚になります。
 ラヴェルのツィガーヌも耳を欹てないといけない弱音から強奏までのダイナミックレンジの大きさ、技巧の素晴らしさ。長いソロから始まるこの曲では、後ろのヴァイオリン奏者たちがずっと凝視していました。
 とにかく耳だけではなく、視覚的にもこの人の演奏は足を運ぶ価値があります。これはライブでなければ味わえないものです。
 数少ない、コンサートの前からワクワクする演奏家であるのは間違いないですね。

3月27日のコパチンスカヤ

小生は今年で80才になる老人です、コパチンスカヤと東京都交響楽団のファンで、3月27日に大阪からサントリーホールに行きました。席は舞台に向かって右端中ほど、前から7列目でしたが、彼女の切れ味の鋭い音が殆ど聞こえませんでした。確かに、加齢のため左耳の周波数特性は右耳より悪く、そのせいで期待したコパチンスカヤの音を楽しめませんでした。当然のことながらサイモンラットル指揮、コパチンスカヤのヴァイオリン、ベルリンフィルでこのリゲティーの協奏曲を事前に聴き、その素晴らしさを認識した上で、当日を楽しみにしておりました。上記した小生の感じた不具合は単に小生の劣化した聴力のせいなのか、それともコパチンスカヤの当日のバイオリン自体が音を出せていなかったのか、今も悩んでいて、随分前のNHKホールのペトレンコのタンホイザーで先生と意見が一致したものですから、このコメントをお送りすることにしました。無礼が有ればご宥恕のほど・・

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