2024-02

2023・4・24(月)飯守泰次郎指揮東京シティ・フィル ブルックナー4番

      サントリーホール  7時

 これも東京シティ・・フィルハーモニック管弦楽団の特別演奏会。ブルックナーの「交響曲第4番《ロマンティック》」1曲のみだが、先日の「8番」同様、入魂の演奏で一夜をたっぷりと満たしてくれた。今日のコンサートマスターは客演の荒井英治。

 「8番」の時もそうだったが、飯守がブルックナーを振ると、シティ・フィルは「恐るべきオーケストラ」になる。それはやはり最近の飯守の凄さ、彼がついに到達したカリスマ的な芸風の為せるわざでもあろうが、その一方で、常任指揮者・高関健により整備されて来たこのオーケストラの演奏水準の向上が大きく作用していることを見逃がしてはなるまい。

 今日の「4番」、飯守の気魄を受けとめたシティ・フィルは、強靭な意志をみなぎらせた演奏を繰り広げた。それはこの曲についている「ロマンティック」などという曖昧なニックネームにこだわらない、もっと闘争的な意志力を爆発させるような演奏ではなかったか。第3楽章でのクレッシェンドの物凄さなど、日本のオーケストラからは滅多に聴けないものであった。

 それにしても、これだけいい演奏会なのに、客の入りが半分強という状態だったのは、あまりに残念だ。先日の「8番」の時も6割ちょっとという状態だったが━━。ただ、拍手とブラボーの大きさは、本当に熱心なお客さんが集まっていたことを示すものではあったが。飯守泰次郎の芸術は、今がまさに旬であり、聴くのは今である。

コメント

お疲れ様です。
安心してブルックナーの音楽に身をまかせていられる一夜。席が良かったか、反響があちらこちらから聞こえてくるのも心地よい。それにしても、お客さんが少ない。安い席はそこそこ埋まっていたが、正面はガラガラ。マイナー扱いしてよい指揮者ではないのだが、関西などでもそうなのだろうか。これも席の関係か、アンコールでやたらとマエストロと眼があった。あれは、「他人のブログを荒らして、バカなことを繰り返すのはいい加減にしろ」と言う眼差しだったか。

マエストロ飯守

関西フィルの桂冠名誉指揮者でもある、マエストロ飯守の指揮は、魂のこもった指揮だと感じます。ブルックナーは、本当に素晴らしい。東条先生の「今が旬。聴くのは、今。」これには同感です。関西フィルでの指揮は2024年3月29日の定期演奏会です。これは必聴。楽しみです!

bravo vpoさんへ

関西での飯守さん指揮の公演ですが、関西フィルさんの定期演奏会は、聴衆が多いように思います。飯守さんのブルックナーを楽しみになさっている人もたくさんいらっしゃいますよ。それと、bravo vpoさんのコメント、いつも拝読しています。なるほど!と思うことばかりです。

玲子様へ

ありがとうございます。

喜びと悲しみ

98年の最初のシティ飯守のあの曲を、今回あの当時とほぼ同じオルガン席側から聴きました。良くも悪くも飯守さんはもう、あの時の様に無駄な力こぶをこめている余裕はない。その力みのなさとオケの進歩が、音楽の進行からいい意味で淀みを取り、より深い感動に達する、それ以上の言葉は、自分には必要なかった。だからある意味、あの客数の事は本当は触れて欲しくなかった(笑)。あれだけピュアな音楽にあれしか集まらない東京のクラシックファンの在り方。それはかなり悲しい事だからです。

平日の夜というのは、東京在住者は当日ぎりぎりまで仕事、翌日は朝から仕事という多忙な中駆けつけ、帰宅しなければならない日程ですし、熱心な地方在住者は仕事を休んで泊りがけで来ないと聞けない日程です。オケにとって勝負となる今回のようなコンサートは、土日のマチネーに出来なかったのでしょうか。

名演の理解と反応と撮影

 所々、微妙に合わない所もありましたが、私も充実感の継続の下、演奏内容を自分なりに、いろいろ考えたり、納得したり、勉強になる演奏会でした。ただ、私も上記の方々のように、聴衆の少なさが残念に思ったのに加え、唖然としたのは終演後、Pブロックや、私の近く(2階席)でも、両手を頭上に挙げて、万歳で拍手する人が何人か目についたことです。
 このコンサートに限らず、年々、こうした人々が増えているのを以前から、実感してはいるのですが、見た目にも、何か浮かれて、軽薄に見えますし、今回のような深い内容の演奏への理解とは結びつかない反応、行動に思えます。
 聴衆の数自体だけでなく、来場者のどれ程が、演奏内容を理解しているか、あるいは理解しようとしているかのか、なかなか難しい所です。
 一方、同じく終演後、何人かの聴衆が、写真を撮って、係員から注意を受けている所を見ました。どうも最近、N響、東響、仙台フィルなどいくつかのオケで、終演後の撮影を解禁し始めていることが背景にあるようです。
 演劇の方でも、商業演劇、あるいは歌舞伎でも時間を決めて役者が舞台上で呼びかけて撮影OKにしているのを見かけることがありますが、概ね、若い役者中心の普及的な公演であったり、集客に苦労している公演で見かけることが多いように思います。クラシックの公演で、しかも、定演で撮影OKにするのは、本当にそうしたサービスが必要なのか、演劇などよりも意味が薄いようにも思いますし、今回のように、禁止を続けている他のオケに影響が出てしまう状況では、混乱をもたらす、あまりいいこととは言えないでしょう。こちらのことも、業界全体としてどう考えてゆくのか、今後の対応を見守りたく思います。

そもそもあの日、

聴衆に向かって万歳に近いポーズをとってらしたのは、飯守さん御自身だ。客の一部はむしろそれに応えようとしていたに過ぎない。大体他の客が、その演奏を理解しようとしていたかどうかなど、そんな事気にする趣味は、少なくとも私にはない。私はしなかったが、万歳だろうがブラボーだろうが大いに結構。音楽は気楽に楽しみたい。

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 数日前の飯守先生の訃報に接しました。このコンサートがシティ・フィルさんとの最後の共演だったでしょうか。もっともっと演奏に接したかったので、残念です。今までの拝聴の経験や記憶を大切にしてゆきたいです。
 細かいことで恐縮ですが、上記のコメントについては、万歳で拍手していた聴衆は、最初からしていたのであり、飯守先生が手を挙げたのは、少し後のことです。
 また、この方、ご自身、その前のコメントでも、「クラシックファンの在り方」云々とおっしゃっていますし、この方と同じお名前のブログ(?)では、いろいろな方々について、お心におかけなされての、ご自身のお考え、ご主張を、かなりの分量でお書きになっておられるのを拝見しました。(同しお名前の方でしょうか。)
 飯守先生も、今後のクラシック界について、いろいろなお考えをお持ちだったようです。先生の御遺志を改めて知る機会があれば、と思いますし、演奏芸術の内容はもちろん、ファンや演奏会の良き方向性、良き運営の在り方など、幅広く、総合的に考えてゆきたいところです。

最初から万歳していた聴衆がいたとして

それが何だというのか。それは決してあの時の状況の全てを説明しうるものではない。また、私が考えるクラシックファンのよき在り方とは、余程低劣なケースを除いて、他人の歓呼のあげ方を気にする様なものとはそもそも次元が違う。以上(笑)

 遅ればせだが、自分も飯守氏に哀悼の意を表したい。
 今回、久々に東条氏の評論を見たが、以前から見知っている人物の記事があったので、ちょっとびっくりした。
 自分も、一応、この思い出に残る演奏会には居合わせたが、当たり前のことだが、このコンサートに限らず、また、飯守氏に限らず、声援に応えるのは、もちろん、指揮者の方だ。
 また、聴衆の理解とかも、音楽や文化に興味があれば、演奏家や評論家は無論のこと、前の記事の方同様、自分もごく自然に知りたいことなのだが、彼は、ここでの記事にある通りの関心、認識なのだろう。
 この人物については、ネット上にもいろいろ記事があるし、本人も自分のサイトでさまざまに発言してので、これらを見れば、大方の人は、どのような人物か、クラシック音楽をどれくらい理解しているか、あるいは、どのように行動し、聴いているかは、自然とわかると思う。自分よりも、ご存じの方も、多いことと思う。

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