2024-03

2023・5・17(水)トッド・フィールド監督 映画「ター」

      TOHOシネマズ日比谷  午前9時15分

 某大新聞文化欄の批評などでは、ベルリン・フィル初の女性首席指揮者として赫々たる名声を築いていたター(リディア・ター、Lydia Tar)が狂気に陥って怪物と化す━━などと、昔のあの「危険な情事」さながらのホラー映画的な紹介をしていたが、実際の映画はそんな扇情的なものではなく、もっと真面目な、音楽的にもしっかりした内容のものである。

 要するに、ヒロインが対人関係や多忙、SNSでの悪質な中傷誹謗などのため次第に精神の平衡を失って行き、ついにマーラーの「第5交響曲」の演奏会で狂乱状態になるという大スキャンダルを起こす話なのだが、ホラー映画のような破滅的な過程を辿るのではない。彼女が古いバーンスタインの「ヤング・ピープルズ・コンサート」のビデオを視て涙を流し、初心を取り戻して、東南アジアの某国で若者たちのオーケストラを指揮するというエピソードには、観客の側も救われた気持になるだろう。
 だが、「本当の怪物は客席に━━聴衆の中にいる」ということさえ暗示されるのは、今日のネット社会の暴力を描いて、恐ろしさを感じさせる。

 真面目な音楽論が繰り広げられるシーンも多くあり、われわれ音楽ファンにとってはむしろそちらの方が興味深い。その一方、ジェンダー問題などにも正面から取り組み、議論する場面もある。重苦しいが、とにかく、重量感のある映画だ。

 ストーリーの中には、実在の指揮者やオーケストラの名前が無数に登場する。有名指揮者の性的スキャンダルも実名で出て来るのは、ちょっとやり過ぎの感もあるだろう。だが、ジョン・マウチェリが音楽監督を担当した音楽場面は非常にしっかりしていて、見応えがある。
 登場するオーケストラは、但しベルリン・フィルではなく、ドレスデン・フィルだ。映画の中に流れる曲には、いろいろなオケの音源が使用されているらしい。

 ヒロインのターを演じるケイト・ブランシェットの指揮や演技は流石に見事で鬼気迫るものがあり、妖気さえ漂うのは事実だ。なお、ロシア人の女性チェリスト役を演じているソフィー・カウアーは、本物のチェリストである由。

コメント

まだ見てないので、結末のネタバレはしてほしくなかったです。

ベルリン・フィルがその名を使わせたこと。さらには実名が露骨に次から次へと出てくるのにはさすがに驚きました。
権力というものは人を変える。時には怪物にしてしまう。挙句の果ては奈落の底。
なんとなくカラヤンの最晩年と照らし合わせて観てしまったのですが・・・。
それはちょっと考え過ぎ?。

解釈はさまざま

 この映画のラストシーンは衝撃的だ。教え子の自殺に絡む告発、ネットでの中傷などで追い込まれ、ライブ録音現場で起こした大スキャンダルで破局を迎えたあと、主人公はレナード・バーンスタインの昔のテレビ番組、"Young People's Concerts"のビデオを視て初心に帰り、再生への道を歩み出すという姿に救いを見ると捉えるのが多数派かも知れないが、私の印象は少し違う。

 東南アジア(たぶんタイだろう)のキッズオーケストラの指揮台に立つ彼女にはヘッドセットが手渡される。そしてバックのスクリーンにはアニメの画像が投影される。演奏が始まるとカメラは客席のほうに回る。そこにはコスプレの若者たちがずらりと並んでいるという絵でエンドロールとなる。

 さて、これをどう見るか。再生の始まりと捉えるか、転落の行き着く先と捉えるかである。ターを迎えた現地の主催者たちとの会話の中で、大阪(アニメ界トップランナーの日本)から来てもらえなくてといった言葉が出たように、その代替としての元ベルリン・フィルのシェフ、そこまで落ちたかということが強調される。クラシック音楽が上で、アニメ音楽が下ということはないにせよ、制作者(および欧米のふつうの音楽愛好家)の価値観がほの見える。

 同じく、少し前に挿入されたエピソードも、本筋と関係なさそうでいて見逃せない。途上国の自然に癒やされるなか、マッサージのためホテルに紹介された店を訪れたら、別室に番号を付された少女たちが座っている。性的搾取の場所であることに気付いたターは店を飛び出し路上に嘔吐する。自身の権力を嵩にかけて弱者を喰いものにすることへの覚醒だったのか、それは定かではない。映画の前半にあったオーディションの場面、パーティションの向こうに番号で呼ばれる候補者がいる構図の暗喩とも受け取れる。

 そんな見方をするから、傷口に塩を塗るような、これは「最後に希望が残った」という物語ではない気がするのだ。

 3時間に近い長い映画だ。途中でトイレに立ったので重要なシーンを見逃したかも知れない。とにかく最後の30分は前述のとおり、解釈が大きく分かれる部分だと思う。そこに至る長い長い展開は公式サイトに書かれたあらすじに委ねるとして、クラシック音楽の世界に疎い人には退屈な時間かも知れない。スリラーとしての味付けがあるにしても、冒頭の短いシーンとその帰結との間が空きすぎるようにも思える。あれは映画の半ばから登場するオリガという新進チェリストの眼から見た主人公の姿であり、破局への伏線であることは、見終わったあとにようやく解るのだけど。

 長い作品とは言っても、コアなクラシック音楽ファンだと細部の面白さがわかるはず。かなり綿密に準備された脚本ということだろう。MeToo騒ぎでスキャンダルにまみれた人物の固有名詞が何人も出てくるのはともかくとして、気をつけないと見落とす聞き逃すようなディテールもある。もう一度観たらもっといろいろと出てきそう。以下は、その一例。

 メインの音楽として位置づけられているのはマーラーの交響曲第5番、これをライブ録音して「一人の指揮者によるベルリンフィルのマーラーの交響曲のボックスセットが完成する」という台詞はそのとおり。あれだけ録音を残したカラヤンなのにマーラーの交響曲は網羅していない。その後のアバドもラトルも、全集こそあっても、複数のオーケストラを指揮したものだ。ドイツグラモフォンから出ている映画のサウンドドラック盤は、アバド指揮のベルリンフィル盤と似せているのも面白いところ。

 この曲のリハーサルの場面が何度も出てくるが、アダージェット楽章の稽古で、「ヴスコンティ(同曲を使った映画「ベニスに死す」の監督)でお馴染みになってしまったけど、新鮮な気持ちで…」といった指示でオーケストラメンバーから笑いが漏れるシーンは、こちらも笑みがこぼれる。

 突っ込みどころがあるとすれば、マーラーの交響曲の録音で、なぜ第5番が最後なのかというところ。ふつうに考えれば、膨大な演奏者を必要とする第8番か、解釈に難渋する第7番が最後に回るのではと思うのだが、それは映画制作上の都合ということかも知れないと勝手に想像する。

 細かな点で言えば、部分を切り取り編集されたSNS上の動画で批判されることになるジュリアード音楽院での教授の場面、バッハの音楽に関する学生との論争の中で自らピアノを弾くシーンではグレン・グールドの演奏姿の物真似だと思わせるところがある。

 ひとつ解らないことがあるのが、失意の主人公が新たなスタートを切るために訪れたマネジメント会社、映像の背景には"CAMI"の社章ロゴが写っていたが、Columbia Artists Management, Inc.、あの会社はまだ存続しているのだろうか。コロナ禍で廃業ということだったはず。驕れる者久しからず、落ち目となった主人公の姿に重ね合わせているのだろうか。かつて栄華を極めたCAMIの大立者ロナルド・ウィルフォードに至っては、音楽ジャーナリストのノーマン・レブレヒト("Who killed classical music?")からは芸術家を喰いものにしている極悪人呼ばわりされていたわけだし。

 もうひとつ、オーディションに応募したオリガとの会話の中で、ターが「影響を受けたチェリストは?」ということでロストロポーヴィチの名前を出したのに対し、オリガは「ジャクリーヌ・デュ・プレ」と即答する。「バレンボイムとのエルガーのコンチェルト?」とさらに尋ねたら、まるで無視するような態度。このあたり、自身をデュ・プレに準えて、ドロドロの関係にあったという配偶者の名前を出さないというのも意味深なところだ。ここにもターの女性関係(?)の暗喩がありそうだ。

 こんな調子で、3時間近い映画はそれなりに楽しめるのだが、長々とした冒頭のインタビューシーンはじめ、もう少し短縮できるのではないかとも思う。なんだかワーグナーの楽劇の独白による退屈な説明シーンを彷彿とさせる。いささか疲れた映画鑑賞となった。

盛大なネタバレ😭😭
貴重な3時間と入場料が節約できました🤣

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