2024-03

2009・3・15(日)びわ湖ホールプロデュースオペラ 
プッチーニ:「トゥーランドット」

   滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

 びわ湖ホールと神奈川県民ホールおよび東京二期会による共同制作オペラのシリーズで、昨年の「ばらの騎士」に続く第2弾、今年は日本オペラ連盟も制作に加わった形を採る。

 出来栄えは、このシリーズのプロダクションとしても連続ヒットといえよう。
 第一に、近年大きく変貌した沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)の指揮が快調。充分にスペクタクル性を備えながらも野放図に音楽を煽ることなく、彼らしいバランス感覚を以て全曲を構築している。
 ただ私の好みから言えば、第1幕のエンディングや第2幕の場面転換の音楽などで、もっと直線的にクライマックスに向かって伸びるデモーニッシュな雰囲気が欲しいと思ったのだが、これはあるいは、沼尻と京都市交響楽団との「呼吸」の問題だったのかもしれない。

 歌手陣はダブルキャストで、今日は第2日組だったが、なかなか良い。
 トゥーランドット役の横山恵子は伸びのある声で、謎解きの場でもすこぶる安定。また粗暴な姫としてではない役柄表現だったこともあり、第3幕後半のアルファーノ版の個所ではいっそう本領を発揮した。
 カラフの水口聡はとにかく馬力で最後まで押し切ったという感。リューの木下美穂子も良いが、この役には、歌唱でも演技でも、もう少し複雑な感情の襞が求められるだろう。脇役で結構いい味を聞かせたのが、皇帝役の近藤政伸。与那城敬が役人を歌っていたのはちょっとぜいたくな配役といえようか。

 このプロダクションでは、粟國淳の演出が注目されていた。たしかに幕開き早々、怪奇なロボット集団が働く巨大な工場の場面(装置は横田あつみ。すこぶる大掛かりだ)は観客の度肝を抜くし、またボーイスカウトみたいな制服を着た群衆が、姫を讃える時と、その圧制を呪う時とで演技を変えるところなど、「ボリス・ゴドゥノフ」におけるような「群集の2面性」を感じさせて面白かった。

 だが全部観終わってみるとこの演出は、登場人物の心理表現という点では、やはり従来の慣習的なオペラ舞台の枠から踏み出すことはできなかったのではないか、という印象しか残らないのである。第2幕後半場面をはじめ、主役たちが最後のぎりぎりの選択を求められる個所や、ちょっとした心理的な応酬が必要とされる個所での演技が、何かひとつ、まだるっこしいのだ。

 なお、リューが自決する場面は、どうも腑に落ちない。あれでは彼女が獄吏に殺害されるように見えてしまい、物語の筋が通らなくなる。終演後に沼尻マエストロから聞いた話では、あれは獄吏でなく「殺人機械のロボット」で、彼女がわざとそれに近づいてロボットの刃を自ら体に浴びる「のだそうですよ」とのことだったが、どう見てもそうは――。

 これは3月28日(土)、29日(日)に神奈川県民ホールでもマチネー上演されることになっている。指揮は同じく沼尻だが、オーケストラは神奈川フィルだ。 


コメント

先生もいらっしゃったのですね。

東条先生。先生もいらっしゃったのですね。気がつきませんでした。私は名古屋の仲間数人と観に行きました。音楽は良かったのですが、ご指摘のとおり演出面では色々と腑に落ちない場面がありました。リューの自殺もそうですが、古の北京の民衆が紅衛兵のようにずらりと同じ制服を着て整然と整列して歌を歌うなどもありえないことだと思います。姫の第二の謎で姫が苛立って「そこの民衆を鎮めよ」と衛兵に命じた時、民衆は整列して座っているだけ。これでは姫の命令が意味をなさなくなります。またカラフがドラを鳴らすシーンでは手を挙げるとドラが光るというものでしたが、あれではマイコン仕立てのパチンコにしか思えません。まあ色々と演出面では問題がありますが、総じて言って日本のオペラは近年非常にレベルが高くなりましたね。正直言って外来の下手な歌劇団よりはよっぽどマシだと思います。

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