2023・10・20(金)鈴木優人の関西フィル首席客演指揮者就任記念演奏会
ザ・シンフォニーホール 7時
欧州ツアーから帰国したばかりの関西フィルハーモニー管弦楽団の、これは特別演奏会。
音楽監督のオーギュスタン・デュメイ、首席指揮者の藤岡幸夫という指揮者陣に、今年から首席客演指揮者として鈴木優人が加わったが、その就任披露演奏会がこれである。今日のコンサートマスターは木村悦子。
鈴木優人が関西フィルを指揮するのは3年前の6月にも聴いたことがあるが、彼もあの頃に比べ、さらに大幅な進境を遂げている。
今回はラモーの「優雅なインドの国々」からの組曲(鈴木優人編)、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」(全曲版)、ブラームスの「交響曲第1番」という、鈴木の十八番のバロックから始めて新古典主義作品へ、最後にロマン派の交響曲━━という流れのプログラムを組んでいたが、これは賢明な選曲だった。前半の二つの作品では彼の最良のものが発揮されたし、またブラームスでは、彼のロマン派のレパートリーにおける目覚しい進境が聴かれたからである。
「優雅なインドの国々」からは、あの有名な「未開人の踊り」を含む6曲が演奏された。オーケストレーションには鈴木優人の手が加えられているとのこと。比較的大きな管弦楽編成で、ちょっと落ち着かない感じもなくはなかったが、彼の「名刺代わり」としては絶好の曲目だろう。
「プルチネルラ」は、森麻季(S)、鈴木准(T)、加耒徹(Br)の声楽陣も加わった全曲版による演奏で、わが国でこの版をナマで聴ける機会は稀である。この新古典主義系の作品は鈴木優人の個性に合うように思う。
ただ、このような作品においては、関西フィルの演奏は粗くて、少々重いし、洒脱さにも不足する。これは、このオーケストラがこうしたレパートリーに慣れていないということもあろう。鈴木優人との呼吸がぴったり合うようになれば、関西フィルにとって新しい世界が開けて行くだろう。
ブラームスは、予想を遥かに上回る見事な演奏になった。特に第2楽章以降には驚くほどしなやかな、瑞々しい響きと表情があふれていた。フレーズの一つ一つが明快に際立っているように聞こえるのは、さすがバロック音楽を得意とする鈴木優人ならではのものだろう。中間2楽章での、軽やかなタッチで追い上げて行く呼吸の見事さには、もう「鈴木優人のロマン派ものは・・・・」などとは言わせない、という気魄があふれているようだ。
関西フィルもこのレパートリーはお手のもの、濃密な音で、あたたかい演奏を聴かせてくれた。
アンコールには、「優雅なインドの国々」からの「未開人の踊り」が、先ほどよりも威勢よく演奏されたが、これに合わせて客席から手拍子が起こり、手の空いている楽員までその手拍子に参加していたのは、さすが大阪というか。
終演は、9時半近くになった。今回はなかなか適当なホテルが取れず、結局、ザ・シンフォニーホールとフェスティバルホールの双方に近い中之島のリーガロイヤルホテルに宿泊したのだが(意外にハイコストではない部屋がある)、部屋には最近のホテルには珍しいラジオのチャンネルが付いていて、その「BGM」がクラシックをシームレスで流していたのには感動した。室内楽とソロ曲ばかりだが、悪くない選曲だ。今では忘れられたような曲である「ハイケンスのセレナード」が流れていたのには驚いた。
欧州ツアーから帰国したばかりの関西フィルハーモニー管弦楽団の、これは特別演奏会。
音楽監督のオーギュスタン・デュメイ、首席指揮者の藤岡幸夫という指揮者陣に、今年から首席客演指揮者として鈴木優人が加わったが、その就任披露演奏会がこれである。今日のコンサートマスターは木村悦子。
鈴木優人が関西フィルを指揮するのは3年前の6月にも聴いたことがあるが、彼もあの頃に比べ、さらに大幅な進境を遂げている。
今回はラモーの「優雅なインドの国々」からの組曲(鈴木優人編)、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」(全曲版)、ブラームスの「交響曲第1番」という、鈴木の十八番のバロックから始めて新古典主義作品へ、最後にロマン派の交響曲━━という流れのプログラムを組んでいたが、これは賢明な選曲だった。前半の二つの作品では彼の最良のものが発揮されたし、またブラームスでは、彼のロマン派のレパートリーにおける目覚しい進境が聴かれたからである。
「優雅なインドの国々」からは、あの有名な「未開人の踊り」を含む6曲が演奏された。オーケストレーションには鈴木優人の手が加えられているとのこと。比較的大きな管弦楽編成で、ちょっと落ち着かない感じもなくはなかったが、彼の「名刺代わり」としては絶好の曲目だろう。
「プルチネルラ」は、森麻季(S)、鈴木准(T)、加耒徹(Br)の声楽陣も加わった全曲版による演奏で、わが国でこの版をナマで聴ける機会は稀である。この新古典主義系の作品は鈴木優人の個性に合うように思う。
ただ、このような作品においては、関西フィルの演奏は粗くて、少々重いし、洒脱さにも不足する。これは、このオーケストラがこうしたレパートリーに慣れていないということもあろう。鈴木優人との呼吸がぴったり合うようになれば、関西フィルにとって新しい世界が開けて行くだろう。
ブラームスは、予想を遥かに上回る見事な演奏になった。特に第2楽章以降には驚くほどしなやかな、瑞々しい響きと表情があふれていた。フレーズの一つ一つが明快に際立っているように聞こえるのは、さすがバロック音楽を得意とする鈴木優人ならではのものだろう。中間2楽章での、軽やかなタッチで追い上げて行く呼吸の見事さには、もう「鈴木優人のロマン派ものは・・・・」などとは言わせない、という気魄があふれているようだ。
関西フィルもこのレパートリーはお手のもの、濃密な音で、あたたかい演奏を聴かせてくれた。
アンコールには、「優雅なインドの国々」からの「未開人の踊り」が、先ほどよりも威勢よく演奏されたが、これに合わせて客席から手拍子が起こり、手の空いている楽員までその手拍子に参加していたのは、さすが大阪というか。
終演は、9時半近くになった。今回はなかなか適当なホテルが取れず、結局、ザ・シンフォニーホールとフェスティバルホールの双方に近い中之島のリーガロイヤルホテルに宿泊したのだが(意外にハイコストではない部屋がある)、部屋には最近のホテルには珍しいラジオのチャンネルが付いていて、その「BGM」がクラシックをシームレスで流していたのには感動した。室内楽とソロ曲ばかりだが、悪くない選曲だ。今では忘れられたような曲である「ハイケンスのセレナード」が流れていたのには驚いた。
コメント
余談ですが。
大阪のリーガ.ロイヤルホテルは、ラジオチャンネルで、クラシックがシームレスで流れていますね。室内楽とソロ曲ばかりですが。嬉しい限りです。
不思議なプログラム
やはりお越しになっていたのですね。
客席の入りは七分程度で、ちょっと寂しい感じもしましたが、演奏自体は意欲的だったと思います。とにかくプログラムが変わっています。前半の2曲はラモー、ペルゴレージという古い音楽、一転後半はブラームスと時代が飛ぶギャップ。どういう意図で構成したのかはよくわかりません。モダンオーケストラのポストに就いたのだから、古楽系にとらわれない広いジャンルをということなんでしょうね。プログラムノートでは「鈴木優人がいかなる音楽家かを踏まえつつ進める」とか「選曲の含意を示せればと思う」なんて書き出しでしたが、ちっともそんな内容が伴っておらず拍子抜け。まあそれはともかく、前半のプログラムは楽しめました。
ラモーの作品を聴くのは初めてなので、指揮者による編曲がどうなのかは判りません。でも6曲それぞれ面白く聴きました。続く「プルチネルラ」も、序曲ぐらいしか聴いたことがありません。そもそも声楽付きだとも知りませんでした。ただ、その歌がいったいどれだけの必然性のあるものなのか、バレエの舞台を観てはいないし想像もつかないところ。おかしかったのは3人の歌手が歌う詞が一語も聞き取れなかったこと。イタリア語のはずなのに、こんなことは経験がありません。
理由をいろいろと考えてみました。①歌い手にとって初めて歌うのだろうことは楽譜を手にしていることからも想像がつきます。ディクションを練る余裕がなかったのかも。②オーケストラにはよくても、声が不明瞭になりがちなシンフォニーホールの音響のせい。③イタリア語話者ではないストラヴィンスキーが、独特のオーケストレーションを施したのでこうなった。IMSLPでスコアを眺めたら、細かい音符にいっぱい歌詞が詰め込まれていました(死後50年経過のためカナダでの著作権は消滅)。④バレエ音楽だしオーケストラがメイン、歌は一パートとしての彩りに過ぎない。聞き取れなくてもどうということはない位置づけ。⑤そもそも私の語学力不足。それが最大か。
歌は期待したほどではなかったけど、全曲演奏されたバレエ音楽として、オーケストラだけでも、舞台の様子を想像しながら面白く聴けました。「新しい酒を古い革袋に入れる」の謂は、新しい内容と古い形式は相容れないという意味ですが、音楽においてはそれをやる作曲家が少なくありません。ただ、いつもまずい訳でもないのは「プルチネルラ」がとても刺激的なことでよくわかります。
後半のブラームス、あっさり、すっきりした演奏のように思いました。「お好き?」と尋ねられたら、ブラームスは嫌いじゃないけど、この交響曲第1番は苦手です。つまらないモチーフを捏ねくり回したあざとさを感じるからなんですが、逆に鈴木氏の演奏はそういう要素を極力排除したようにも見えました。首席客演指揮者就任ということで、これから取り上げる作品の幅も拡がっていくのだろうと推測します。どんな展開になるか興味深いですね。
客席の入りは七分程度で、ちょっと寂しい感じもしましたが、演奏自体は意欲的だったと思います。とにかくプログラムが変わっています。前半の2曲はラモー、ペルゴレージという古い音楽、一転後半はブラームスと時代が飛ぶギャップ。どういう意図で構成したのかはよくわかりません。モダンオーケストラのポストに就いたのだから、古楽系にとらわれない広いジャンルをということなんでしょうね。プログラムノートでは「鈴木優人がいかなる音楽家かを踏まえつつ進める」とか「選曲の含意を示せればと思う」なんて書き出しでしたが、ちっともそんな内容が伴っておらず拍子抜け。まあそれはともかく、前半のプログラムは楽しめました。
ラモーの作品を聴くのは初めてなので、指揮者による編曲がどうなのかは判りません。でも6曲それぞれ面白く聴きました。続く「プルチネルラ」も、序曲ぐらいしか聴いたことがありません。そもそも声楽付きだとも知りませんでした。ただ、その歌がいったいどれだけの必然性のあるものなのか、バレエの舞台を観てはいないし想像もつかないところ。おかしかったのは3人の歌手が歌う詞が一語も聞き取れなかったこと。イタリア語のはずなのに、こんなことは経験がありません。
理由をいろいろと考えてみました。①歌い手にとって初めて歌うのだろうことは楽譜を手にしていることからも想像がつきます。ディクションを練る余裕がなかったのかも。②オーケストラにはよくても、声が不明瞭になりがちなシンフォニーホールの音響のせい。③イタリア語話者ではないストラヴィンスキーが、独特のオーケストレーションを施したのでこうなった。IMSLPでスコアを眺めたら、細かい音符にいっぱい歌詞が詰め込まれていました(死後50年経過のためカナダでの著作権は消滅)。④バレエ音楽だしオーケストラがメイン、歌は一パートとしての彩りに過ぎない。聞き取れなくてもどうということはない位置づけ。⑤そもそも私の語学力不足。それが最大か。
歌は期待したほどではなかったけど、全曲演奏されたバレエ音楽として、オーケストラだけでも、舞台の様子を想像しながら面白く聴けました。「新しい酒を古い革袋に入れる」の謂は、新しい内容と古い形式は相容れないという意味ですが、音楽においてはそれをやる作曲家が少なくありません。ただ、いつもまずい訳でもないのは「プルチネルラ」がとても刺激的なことでよくわかります。
後半のブラームス、あっさり、すっきりした演奏のように思いました。「お好き?」と尋ねられたら、ブラームスは嫌いじゃないけど、この交響曲第1番は苦手です。つまらないモチーフを捏ねくり回したあざとさを感じるからなんですが、逆に鈴木氏の演奏はそういう要素を極力排除したようにも見えました。首席客演指揮者就任ということで、これから取り上げる作品の幅も拡がっていくのだろうと推測します。どんな展開になるか興味深いですね。
うらやましい!
「プルチネッラ」の全曲版が生で聴けるとは!
東日本のオーケストラもぜひ取り上げてほしいです。
東日本のオーケストラもぜひ取り上げてほしいです。