2023-12

2023・11・12(日)トゥガン・ソヒエフ指揮ウィーン・フィル

       サントリーホール  4時

 R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」と、ブラームスの「交響曲第1番」というプログラム。アンコールにはJ・シュトラウスⅡの「春の声」と「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏された。

 プログラム冊子によると、ウィーン・フィルの来日は、今回が38回目になるという。最初の来日はもう67年前のこと━━1956年4月で、それは私も覚えている。もちろんチケットを買って聴きに行ける身分ではなく、ラジオ(AM)や新聞だけでその噂を知るだけだったが、とにかく世の中は、まるで音楽の神様が降臨したような騒ぎだった。

 何しろ、それまでに日本の音楽ファンは、外来オーケストラと言えば、1955年5月に来たシンフォニー・オブ・ジ・エア―(元NBC交響楽団)の強大なパワーに仰天驚嘆し、1956年4月に来日したミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団の気品に感動し━━これらの時の音楽界の興奮は、今では想像もつかぬほど凄かった━━というだけの状態だけだったのだから、「世界最高の音楽の都」から来た「高嶺の花」ともいうべきウィーン・フィルがどんなに熱狂的に迎えられたかは推して知るべし、である。
 その時は、オーケストラは小編成で、指揮はヒンデミットだったが、その演奏は典雅な気品に満ちて、とか、黄金のような美しさ、などと言われ、みんな大騒ぎしていたものだった。

 しかし、それから半世紀以上。いつ頃からか、あのウィーン・フィル独特の「音」は、次第に薄れて行ったのではなかろうか。現代ではさまざまな理由により、世界各国のオーケストラは、おしなべてインターナショナルな音色に変貌してしまっているだろう。
 今日のウィーン・フィルを聴いてみると、良かれあしかれ、このオーケストラの音も変わったな、と思わないではいられない。以前は、どんな指揮者だろうと━━カラヤンでもベームでもショルティでも、あるいはティーレマンだろうとゲルギエフだろうとラトルだろうと、だれが振っていてもウィーン・フィルのあの独特の音色は毅然として守られていたものだったが‥‥。

 「ツァラトゥストラはかく語りき」は、もちろん壮大な演奏ではあったものの、昔のウィーン・フィルだったら、もっと甘美な、官能的な表情も響かせていたはずである。それに今日は、オーケストラも何となく座りが悪く、あまりリハーサルをしていなかったのかなという気もした(今回の日本ツアーでは、この曲を演奏したのは今日が最初だった)。

 だが、ブラームスの「1番」はすでに名古屋で演奏していた所為もあっただろう、これはこれで、音楽の上ではすこぶる立派な風格を備えた演奏になっていた。ただ━━ソヒエフは私の御贔屓の指揮者のひとりなので、こんなことを言っては申し訳ないのだが━━彼がリーダーシップを発揮したというよりは、天下のウィーン・フィルを巧く鳴らした、という気もしないではないが‥‥もちろんそれだって指揮者の大きな才能でもあるのだが。

 アンコールの2曲。もはや昔のウィーン・フィルじゃない、とつくづく思わせられたのは、この2曲での演奏だった。

コメント

大阪で拝聴しました!

大阪のフェスティバルホールでのプログラムは、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番、ソリストは、ラン.ランさん。ドヴォルジャークの交響曲第8番。私は、クラシック若葉マークなので、昔のウィーンフィルは拝聴したことがありませんが、やはり、最高峰の演奏でした。とりわけ、ドヴォルジャークの8番は、圧巻でした。別格やね!コンマスにライナー.ホーネックさんというのも、嬉しかったです。ピアノのラン.ランさんも表現力豊かな演奏でした。大阪は、このプログラム1公演。少し物足りない感じがして、ずっと拝聴していたかったです!出待ちは、拍手でお見送りしました。Bravi!!

また昔話で申し訳ありませんが、シンフォニー・オブ・ジ・エアーは大阪の京橋にあった毎日会館で聴きました。学生のためのコンサートということで、徹夜してチケットを取ったことを覚えています。メインはベートーヴェンの「英雄」で、オーケストラとはこんなに艶やかに響くものかと驚きました。また指揮者なしで合わせる技倆に一驚したことも鮮明に覚えています(もっとも音楽そのものは平板なものだった記憶があります)。
ウィーン・フィルは最初の来日は京都で、二度目か三度目かはたしか東京の武道館だったかどこかで(記憶が曖昧ですが)ボスコフスキーの弾き振りで聴きました。気楽に演奏していたことを覚えています。でもたしかにウィーン・フィルの音でした。
ウィーン系の音が明確に変わってきたのは、アルバン・ベルク弦楽四重奏団以降ではないでしょうか。ただ一度聴いたバリリ弦楽四重奏団とは奏法から表現まで、はっきりと違うなという印象を受けた記憶があります。

焦点の定まらないプログラミングで、迷っていたら、結局ウェルザー=メストの降板で、ああそう言うことか、と思いました。ソヒエフは、定期演奏会も振っているのですから、ウィーン・フィルには認められているのですが、東条先生仰ることもわかる気がします。最近、音の良くなったフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュをさかんに聴いているのですが、やはり素晴らしいですよね。来週、ウィーンの音色にこだわっていると言うシュトイデを聴いてきます。

理由は何であれ女性奏者を入れてから変化し始めこれからは金管以外は別のオケになるでしょう。

楽器はオーデションから先が大切です。

数年前聴いたハンブルク・フィルは、人種の坩堝のようなメンバー構成なのに、彼らの言うハンブルクの音、ハンザ同盟の音が出ていた。戦前からのレコーディングの音は聞けたのだ。要するに、楽団の考え方によるのではないか。ウィーン・フィルは昔からの考え方は知られているのだから、それに沿うように進んで行くだろう。でなければ、存在価値がなくなってしまう。

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