2024-02

2009・5・14(木)下野竜也が新日本フィルハーモニー交響楽団に客演

   サントリーホール

 久しぶりに聴く、「アナログ的」(?)なサウンドのベートーヴェンの「運命」。こういうスタイルも良い。しかも、濃厚鈍重な響きではなく、引き締まって明晰な、どこかに透明さも伴うきれいな音である。

 それにスコア読みも丁寧だ。第2楽章の第120小節で、管が和音を刻む中にトランペットとティンパニをわざと遅れて参加させるというベートーヴェンの狙いをこれほど強烈な形で認識させてくれた指揮者は、私にとっては初めてである。
 最弱音を多用し、デュナミークの対比を強調するのも下野のベートーヴェンのスタイルか。それだけに、クレッシェンド後の第4楽章冒頭のハ音の一撃はティンパニがめずらしくずれて決まりを欠いたのは惜しかったけれど。その代わり、リピート部分ではオーケストラも名誉挽回、猛然と突進した。

 前半は、めずらしい作品が2曲。
 最初は、マルティヌーの「リディチェへの追悼」という短い曲だ。故国で起きたナチスの侵略による悲劇を外国で耳にしたマルティヌーが、その犠牲者に捧げた作品という。重々しく、呻くような楽想が冒頭から聴き手に衝撃を与える。ベートーヴェンの「運命」のモティーフが織り込まれているということも、選曲の理由の一つなのだろう。凝った発想のプログラミングである。

 2曲目はプフィッツナーの「チェロ協奏曲第3番」で、「どこまで行ってもアダージョ」という雰囲気の曲――実際にはアンダンテの部分も、テンポが時々活気づく瞬間もあるのだが。一緒に聴いていたある人が「どうせ僕なんか――と、落ち込みまくっているような曲」だと感想を漏らしたが、言い得て妙。
 その中で客演ソリストのガブリエル・リプキン(1977年イスラエル生れ)の鮮烈なチェロが、暗く美しいオーケストラとの、鋭い、すばらしい対比を創る。

 この2曲、日本では、ナマで聴くことはほとんど叶わない作品だろう。貴重な機会だった。事務局の広報氏が「こんな曲を定期でやるのは、ウチくらいなもんでしょう」と言う。
 「偉いじゃないですか!」と言ったら、「でも辛いですよ、ホントに」と呟いた。こういう曲がプログラムに入ると、途端にお客さんの入りが悪くなるらしいのだ。

 しかし、経営の苦しい自主運営のオーケストラがこういうプログラムを積極的に組むのは、本当に見上げたものである。世界的な常識で言えば、本来ならこういうことは、放送局が運営する経済状態の安定したオーケストラが率先してやるべき仕事なのだ。
 

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