2024-03

2009・5・21(木)庄司紗矢香の個展

  プンクトゥム

 ヴァイオリンの庄司紗矢香が、油絵の個展を開いた。

 絵といっても、いわゆる余技という領域のものではない。(大部分は)音楽作品から与えられた彼女自身の心象を絵にしたものであって、言い換えればそれは――彼女の中では「演奏」と同等の位置を占めていることになろう。
 「ヴァイオリンを第1のインタープレテーション(解釈)とするなら、音楽の内に見えるものを絵画や映像で表現するのが私にとっての第2のインタープレテーションである」と彼女はパンフレット「Synesthesia」(シネスタジア=共感覚。音を聴いて色を感じるように、刺激により別の領域の感覚を起こす現象(三省堂仏語辞書より)」に書いている。

 会場には、プロコフィエフの「ソナタ第2番第4楽章」やブロッホの「ソナタ第1番第2楽章」、ベルクの協奏曲「ある天使の思い出に」などによる絵が展示されていた。風景画もあれば、シュールなものもある。曲の性格からして、絵は明るいものではないが、さりとて暗鬱なものでもない。もしかして彼女の心の暗部が覗けるのでは――などという野次馬的な興味は、打ち砕かれる。なお、それぞれの絵の下にはヘッドフォンがあり、該当の曲の一部が聴けるようになっている。

 私も目を閉じて音楽を聴いていると、必ずさまざまな映像のようなものが脳裏をかけめぐり、陶酔的な感覚に陥る。一昨日のポリーニの「西風の見たもの」のところで書いたイメージは、まさにその時に頭の中で渦巻いていた「もの」なのである。ただしそれは、静止した形で捉えることは絶対不可能な「もの」だ。それゆえ、かりに私に絵が書けたとしても、静止画として形にとどめることはできないだろう。

 その意味では、映写された短い映画――庄司紗矢香自身がフランスの映像作家パスカル・フラマンと一緒に作った、ショスタコーヴィチの「前奏曲第22番」に由るモノクロ映像が、私には強い共感を残した。

 彼女は6月1日に、N響とリゲティの協奏曲を弾く。この曲から生れた「中世の手」(部分)という絵も、前掲書に載っている。当日は、それを思い出しながら演奏を聴いてみようか。

 この個展は、東京・京橋の「プンクトゥム」(ハラダビル2F)という画廊で、6月13日まで行なわれている。

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