2024-02

2009・5・29(金)クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルの
ワーグナーとベートーヴェン

  すみだトリフォニーホール

 アルミンクのワーグナーは、一切の贅肉を削ぎ落とし、交錯する音の線を浮き彫りにしたような音楽ともいえようか。
 昨年9月の「トリスタン」の「前奏曲と愛の死」でも感じたことだが、そういう、良くも悪くもクールなスタイルのワーグナーには、なるほどと思うところも少なくない。とはいえ、陶酔に引き込まれるタイプの演奏とは言いがたい。
 いずれにせよ、「ワーグナーの毒」を抜き取った演奏――もしくは解毒剤を施したワーグナー解釈といったものが若い世代の指揮者の中に増えて来ている今日この頃、徒に好みだけにとらわれることなく、もう少しフランクにそういう演奏と向き合わなければなるまい。あまり好きなテーマではないけれども「ワーグナーの非ナチ化」云々のような問題と絡めて考える必要があるかもしれないのだから。

 プログラム冒頭におかれた「さまよえるオランダ人」序曲は、「救済の動機」で終る版で演奏された。オーケストラはごうごうと鳴り渡ったが、全体に硬く冷たい音楽で、古人が言った「スコアのどのページからも海の風が吹いて来る」という雰囲気からはいささか遠い。この曲から「海の雰囲気」を取り去ったら、あとに何が残るか? 

 休憩後は「指環」からの4曲。
 「ラインの黄金」からは「嵐」の後半から「神々のワルハラ入城」にかけての部分で、最後はそれなりに立派に昂揚したものの、それ以前の個所は何か不思議に田園的な、のどかな音楽に聞こえてしまった。「ワルキューレの騎行」はリズミカルで屈託ない演奏で、オーケストラのバランスもすこぶるいい。
 「森のささやき」は、新日本フィルの波打つ弦の美しさと木管の好演とで、この演奏が4曲中の白眉であったろう。
 「神々の黄昏」からは「自己犠牲」の抜粋からラストシーンにかけての部分が演奏されたが、新日本フィルもここでは引き締まった響きを聴かせた。

 総じて、好みを別とすれば、アルミンクの解釈そのものには筋が通っており、新日本フィルの演奏も概して清澄明晰で、白色の照明に照らされた音の綾――といった趣きがある。

 プログラム前半で、序曲の後に演奏されたのはベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」だった。ソロはピョートル・アンデルシェフスキ。
 ワーグナーを目当てに来たものの、結果として今夜一番気に入ったのは、実はこの協奏曲の演奏だった。オーケストラもピアノも、ニュアンスが精妙で瑞々しい。ワーグナーの間にあって、この曲と演奏は、あたかも清涼剤のような存在となっていた。
 特にアンデルシェフスキのピアノの自然でのびやかな爽やかさは絶品で、アルミンクと新日本フィルの引き締まったリズム感と見事な均衡を保っていた。高音域での16分音符のさえずるような音型にしばしば彼がかけるちょっとしたルバートが、アンコールで演奏したバルトークの「チーク地方の3つのハンガリー民謡」における高音域でのコブシと妙に共通しているのに気がついて、なるほどと感心したり、ニヤリとしたり。

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ピアノのアンコール曲

私も、ピアノのアンコール曲(題名を教えていただき、ありがとうございます)と協奏曲の音型がなんとなく似ているなと思い、ソリストのセンスの良さに感心しました。アルミンクには、ワグナーや後期のマーラーのような毒気の多い音楽はまだ無理なのではと感じます。味気なくてつまらない…。

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