2024-03

2009・7・23(木)大野和士指揮 京都市交響楽団

  京都コンサートホール

 品川から「のぞみ」に乗れば、2時間14分で京都に着く。そこから地下鉄烏丸線で約15分、北山駅で下車すると、京都コンサートホールはすぐ近くに在る。
 このホールを訪れたのは、実は今回が最初。建物の中に入ってから大ホールの受付に辿り着くまでに何だかエライ距離(?)があるが、すこぶる立派なホールだ。ロビーから見ると、隣接して森の木立がある。こういう自然環境は羨ましい。

 大阪の批評家や新聞記者たちは、関西で最近「演奏の状態」が一番いいオーケストラは「京響」だ、と口を揃えて言う。なるほど今夜の演奏を聴くと、それも納得できるような気もする。もちろんこれまでにも、大友直人や広上淳一の指揮する東京公演で京響の壮麗な響きは承知していたが、オーケストラというものはやはりホームグラウンドのホールで演奏を聴いてみないと、なかなかその素顔は判らないのである。

 で、今日は大野和士が客演指揮。会場は満席だ。
 冒頭に若杉弘氏を偲んでバッハの「管弦楽組曲第3番」からの「アリア」を演奏。次いでラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「マ・メール・ロワ」組曲、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」というプログラムを披露した。
 1階席15列中央で聴いた印象では――といちいち断るのは、このホールの音響特性が席の位置でどう変るかまだ呑み込めていないからだ――オーケストラをあまり開放的に鳴らすことなく、むしろ室内楽的な精緻さを重視し、叙情的な側面を表情豊かに打ち出すことを狙った演奏であったという気がする。

 もちろん、ただ美しく流していたという意味ではない。
 「マ・メール・ロワ」の「妖精の園」など弦の清澄な音色がとりわけ魅力的だし、「美女と野獣」での描写音楽的性格が起伏豊かに描き出されるところなど、さすがオペラに卓越している大野だけあって、巧いものだと思う。
 また、豪壮さを抑制した「ラ・ヴァルス」では、洒落っ気とか、コーダに向けての加速とかにはちょっと物足りなさもあったけれど、ラヴェルが求めたであろうパロディ的な荒々しい挿入句(デュラン版練習番号61の前のチェロとコントラバス他)など、ていねいに作られていた。

 ショスタコーヴィチの交響曲でも同様、第3楽章の叙情性は見事だったし、また第4楽章最後の昂揚部分のテンポも速からず遅からず中庸を得て、きわめて納得の行く演奏であった。全曲を通じて悲劇的な感覚を備えた――彼自身がプレトークで語っていたように、「内省的な」性格を強く打ち出した演奏だったという感がある。大野は、本当にますます素晴しい指揮者になって来た。

 京響は、「ラ・ヴァルス」の終わり近くから、みるみる瑞々しく、豊麗な音色になって行った。ラヴェルでは木管の一部にやや物足りなさを感じさせたところはあったが、全体に表情も生き生きしていた。
 もう一つ感心したのは、演奏終了後、拍手に応える楽員たちの顔が、実に明るいこと。オペラでならともかく、コンサートのあとのカーテンコールでこんなに笑顔が多いオーケストラ――特に木管の女性奏者たち――は、日本では他に見たことがない。拍手を贈っても張り合いがある。N響のように、いつも「今の演奏、そんなに良かったですかねえ」という顔をされていては、こちらの気持も萎えてしまいますからね。

コメント

京都へのお運びありがとうございました

京響のファンの一人として申し上げるのもおかしいとは思いますが、京響の定期にお越しくださいまして、とてもうれしく存じます。ありがとうございました。当日は、この時期の京都にしては涼しい一日でした。

来ていただいたばかりで恐縮ですが、また近いうちに、ホームゲームの広上監督の采配を、ぜひ確かめにお運び下さい。どうぞよろしくお願いいたします。

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