2024-03

2010・1・23(土)上原彩子ピアノ・リサイタル

   サントリーホール (マチネー)

 「週刊新潮」ガイド欄で、「バッハの平均律クラヴィア曲集を皮切りにベートーヴェン、リスト、現代ものまで縦横に弾く」と紹介されていた上原彩子のリサイタル。

 プログラムの選曲からして、そのバッハの「平均律クラヴィア曲集」第1巻からの第1、7、8番に始まり、タネーエフの「プレリュードとフーガ 嬰ト短調」、ベートーヴェンの「ソナタ第30番」、リストの「バッハの《クルチフィクス》による変奏曲」、西村朗の「薄明光」、リストの「ラ・カンパネラ」と「ペトラルカのソネット第47番」「同第104番」および「ハンガリー狂詩曲第2番」と続き、アンコールにはショパンの「別れの曲」およびカプースチンの「8つの演奏会用エチュード」からの「プレリュード」――と、なるほどこれは「縦横」そのものだ。

 バッハが開始された瞬間、そのまろやかで豊麗で温かい分散和音の響かせ方に、上原彩子の音楽上の主張が一瞬にして示されたように思われる。ベートーヴェンのソナタからなぜ叙情的な「第30番」が選ばれていたのか、その答えもここで予告されていたかのようだ。
 バッハのあとにタネーエフの作品を置くという意表を衝く選曲も――単に「プレリュードとフーガ」という性格から来る共通性ということ以上に――第1部の3曲をヒューマンな情感で満たす演奏スタイルで統一しようという狙いの中で着想されたのではなかろうか? 
 ただこれは、こちらが彼女の演奏を聴きながら勝手に作り上げた理屈であって、彼女自身にはまた別の考え方があったかもしれない。

 第2部のリストに入ると、音色は一変して、鮮烈かつ豪壮強靭なものになる。
 圧巻は「変奏曲」であった。特にコラール風の終結に向かって音楽がみるみる聳え立って行くコーダでの緊迫感は凄まじく、息を呑まされたほどである。

 「ラ・カンパネラ」あたりでは何か演奏が抑制されたようになって、音楽の流れを明るく転換させるという雰囲気にならず、聴き手の緊張を別の意味で途切れさせる向きもないではなかったが、それでも基本的に彼女の強い集中力は卓越したものがある。リサイタル全体に濃密さが感じられたのは、そのためもあろう。

 それにしても、ヤマハのピアノからかくも豊麗で晴れやかな、あるいは透明ですっきりした、時には原色的なほど鮮やかな音色を引き出す彼女のピアニズムには、驚嘆させられる。あのチャイコフスキー国際コンクール優勝後の何年間か、彼女がヤマハの広告塔として使われている模様がありありと感じられ、われわれは眉を顰めたものだが、今では音楽家としての彼女の方がヤマハのピアノを完全に征服、支配してしまっているようだ。

 上原彩子の成熟は紛れもない。今後の活躍が楽しみである。

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