2024-03

2010・5・9(日)第15回宮崎国際音楽祭 最終日ガラ・コンサート

 メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場)アイザックスターンホール 4時

 4月24日に開幕(関連の教育プログラム等は11日より開始)した今年の宮崎国際音楽祭。
 7年間にわたった芸術監督の任期が今年で終るシャルル・デュトワは、フィラデルフィア管弦楽団を率いて出演したのみ。しかし、国内第一線の奏者たちを集めての室内楽やオーケストラ・コンサートは例年通り行なわれ、外国ゲストとしてジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)、ジュリアード弦楽四重奏団のメンバーらも参加していた。

 フィナーレのこの日は、総合プロデューサー徳永二男をリーダーとする「宮崎国際音楽祭室内楽合奏団」(デュトワ着任以降は音楽祭管弦楽団と言っていたが――)が中心。
 プログラムは、バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」(ソロはジュリアン・ラクリンとパヴェル・ヴェルニコフ)、モーツァルトの「リンツ交響曲」(指揮はラクリン)、同「フルートとハープのための協奏曲」(ソロは高木綾子と吉野直子)、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」(ソロと指揮がラクリン)という重量級。

 ラクリンは一所懸命に指揮をしていたが、どうもこの人は、シンフォニーを振るよりは、コンチェルトを弾き振りしている時の方が好い。
 弾き振りの時でも、彼がオーケストラの方を振り向いて指揮し始めると、途端にオケの演奏が硬直してしまい、音楽に生き生きした表情が失われるから困る。殊更にティンパニをクレッシェンドさせるのも、何か取って付けたような不自然な音楽になるのである。彼のソロもベートーヴェンでは不安定な個所が瞥見された。いっそオケの合奏はこの腕利きぞろいのメンバーに任せておいた方が良かったのに、と思えたくらいだ。

 そんなわけで、オーケストラの演奏が最も解放感に満ちて楽しかったのは、指揮者なしで演奏した「フルートとハープのための協奏曲」だった。気の合った仲間同士で演奏を創り上げて行くという雰囲気にあふれ、柔らかい響きがホールいっぱいに拡がり、第3楽章のある部分では、まさにあの「ミューズの神が舞い下りて微笑む」といったノリさえ感じられたのであった。わが国選り抜きの優れた奏者たちを集めたこのオーケストラの本領が発揮された一例でもあったが、――ただし、常にこの調子で行けるとは限らないのはもちろんであろう。

 指定管理者制度の導入や、日本に多い「15年も経ったからそろそろこのあたりで変えてみては」というあの愚劣な意見が首をもたげはじめている最近、この音楽祭の前途にもちょっと不安な雲が見えるとも言われる。
 10年や15年という期間は、芸術の世界においては、まだやっと基礎が築かれたに過ぎない時期ではないか。粒々たる努力を積み重ねて発展させて来た音楽祭を、ここで拙速に変質させてはならない。継続は力なり、である。

コメント

素朴な音楽祭への回帰

デュトワという派手な看板が本当に必要だったのか?
私は彼の退任が音楽祭の前途を危ぶむものとは思わないです。むしろ落ち着いた環境で学べて、若い方々にも良いのでは。

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