2024-03

2010・5・13(木)リヨン日記第1日 チャイコフスキー:「マゼッパ」
キリル・ペトレンコ指揮、ペーター・シュタイン演出

  国立リヨン歌劇場  7時半

 前日リヨンに入る。薄晴れだが、予想外に大気は冷たく、日中でも12度前後といったところ。休業の店が多く、街は比較的閑散としている。気がついたら今日は「キリスト昇天祭Ascension」なる祭日だった。どういうわけかこの頃旅行先で、こういう祝日に時々ぶち当たる。

 7時半より国立リヨン歌劇場で、チャイコフスキーの「マゼッパ」を観る。キリル・ペトレンコの指揮、ペーター・シュタインの演出で、2006年プレミエのプロダクション。

 これは、ピョートル大帝に重用されながら叛いてスウェーデンと通じ、ロシア軍に攻められ破滅の道をたどった実在のコサック首長マゼッパを主人公にしたオペラ。70歳のマゼッパは若いマリヤと恋に落ち、彼女の父コチュベイ――かつては親友だったが、娘を奪われた復讐にマゼッパの叛心を大帝に密告した――を捕え、拷問の挙句、処刑する。マリヤは衝撃のため発狂、廃墟となった故郷の村で、子守唄を歌いつつ雪の中をさまよう。プーシキンの叙事詩を基にした、おそろしく陰惨な物語だ。

 マゼッパにニコライ・プチーリン、コチュベイにアナートリ・コチェルガ、マリヤにオリガ・グリャコーワ、彼女の母親リュボフにマリアンナ・タラーソワ――という主役陣はすべてロシア系歌手で、おそらく今日求められる理想的な配役の一例だろう。

 題名役のプチーリンはさらに巧味を増した。このシュタイン演出では、マゼッパは権力を振るいつつも、ある程度良心的な呵責の念を感じる男として描かれているが、その悔悟と悲しみの感情を、演技と歌唱の面で実に巧く表現していた。
 一方、コチェルガは相変わらず巨大な声量と体躯で、強固な意志を持つ大地主としての貫禄を示す。またグリャコーワの歌と演技は、先年のMETのプロダクションにおけるほど際立った出来ではなかったが、当たり役であることは疑いない。タラーソワが母親役を巧みに演じ、張りのある声で存在感を示していた。

 ほかに脇役では、マリヤを愛する青年アンドレイをミーシャ・ディジャクが受け持ち、演技は型通りで単調ながらも声の良さで拍手を集めた。マゼッパの腹心オルリクのアレクセイ・ティホミロフは、コチェルガに匹敵する偉大な体躯の持主で、彼を拷問する悪役を迫力満点に表現していた。
 この2人もロシア出身だ。
 指揮のキリル・ペトレンコを加えれば、さながらロシア・オペラの引越公演といった感がある。

 そのペトレンコとリヨン・オペラのオーケストラだが、これはもうチャイコフスキーの音楽の叙情を表出する点で、際立っている。とりわけ、フルートやオーボエが哀愁の旋律を奏でる個所などでは、この作曲家特有のロシア的情緒に惚れ惚れとさせられるほどだし、全曲大詰め、マリヤの悲しい子守唄を包む管弦楽の音色の美しさといったら、先年のゲルギエフとMETのオーケストラのそれよりも遥かに感動的だった。

 だが反面――これはオケの編成の小ささと、この劇場の残響の無さのためだろう――劇的な咆哮の部分では音楽が著しく「薄く」なる。ポルタヴァの戦を描く第3幕前奏曲では、ガシャガシャとした安っぽい響きになり、作品の音楽性まで疑わせる結果となってしまった。
 先年ゲルギエフとMETのオーケストラで聴いた時には、ここはまさに音楽が唸り、怒号し、ロシア軍とスウェーデン軍の交戦の模様が目の当り浮かんで来るほどの迫力があって、曲中に現われる「1812年」冒頭の祈りの歌と同じ旋律や、「ボリス・ゴドゥノフ」の戴冠式の場面に現われる「スラヴァ!」の旋律も一層美しく聞こえたくらいだったのだが――。

 とはいえ、総体的にペトレンコが創り出した劇的な流れと自然な昂揚感はやはり非凡なものと言ってよく、彼の才能が傑出したものであることを窺わせるに充分なものがある。 
 売れっ子のこの人、リヨンでは来年6月に「トリスタン」(ヴィーラー&モラビト新演出、トリスタンをゲイリー・レーマン、イゾルデをアン・ペーターセン)を指揮するそうである。

 演出はペーター・シュタイン。
 彼の演出は、台本やト書きに比較的忠実に従いつつ、それらを細密な演技によって掘り下げるという、「中庸を得た」タイプである。しかし論理的な舞台展開を創る上に、群集の動かし方が巧く、力関係の構図が極めて解りやすい。そこが私の好きなところだ。第1幕でのコサック兵とコチュベイ側の小作人や客人たちとの対立なども完璧に整理されていた。
 また全体に演技も細かく、前述のようにマゼッパの複雑な心理の動きを巧みに描いて、彼を必ずしも残忍な悪役とはいえない男という解釈に仕上げるのに成功していた。それらの大部分は、すでにト書きの中で指定または暗示されているものなのだが、シュタインはいっそう徹底して具体的に、解りやすく演出する。第1幕で、マリヤをめぐってコチュベイへの最後の脅迫に踏み切るまでには、彼は(ト書きにおけるよりも)はるかに長いあいだ悩み、かつ、ためらうのであった。
 舞台美術はフェルディナンド・ヴェーゲルバウアー、基本的に簡素なスタイル。

 幕ごとの休憩(2回)計1時間と場面転換のための時間少々を加え、終演は11時30分。この劇場の椅子は堅く、座り心地は甚だよろしくない――もちろんバイロイトほどではないけれども。

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