2024-03

2010・5・15(土)リヨン日記第3日
 リムスキー=コルサコフ:「モーツァルトとサリエリ」
キリル・カラビッツ指揮(演奏会形式)

  国立リヨン歌劇場  8時半

 プログラムには、「プーシキン・フェスティバル」のロゴが小さく入っている。
チャイコフスキーの別項3つのオペラと、今夜のリムスキー=コルサコフのオペラ「モーツァルトとサリエリ」――まさしくプーシキンの文芸作品を原作としたものばかりだ。

 プーシキンの「モーツァルトとサリエリ」は、サリエリの「モーツァルト毒殺犯人説」を一挙に世界的に有名にしてしまった本家本元のような存在である。いくらサリエリの生前からウィーンでその不穏な噂が囁かれていたこととはいえ、後世にプーシキンがこの物語を書かなければ、かの映画「アマデウス」も生まれなかったであろう――とまで称されるほどだから、その意味では、サリエリを悪人にしてしまったプーシキンの責任は非常に大きいと言わなければなるまい。

 今夜のプログラムでは、それを基にしたリムスキー=コルサコフのオペラが後半に演奏会形式で置かれ、前半にモーツァルトの「交響曲第26番」と、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」が置かれた。
 なかなか味のあるプログラミングではある。が、ここにはサリエリの作品は入っていない。やはり彼は気の毒な人だ。理由なく毒殺犯人に仕立てられ、作品は無視され――。もっとも、このプログラムにサリエリを含めたら、何か義理立て(?)のような感じになったかもしれないが。

 演奏会としての今夜は、ピットを上げた舞台にオーケストラが並ぶ。この劇場の管弦楽団に、客演指揮はキエフ生れの34歳の若手、ボーンマス響首席指揮者でもあるキリル・カラビッツ。
 なにしろこの劇場、残響が全くないので、音楽に潤いも余情もふくらみも感じられなくなってしまう。交響曲と組曲の演奏にはそれなりに瑞々しい表情も感じられ、カラビッツのセンスも極めて良いように思われたが――特にモーツァルトの速い楽章は佳かった――彼の本領はさほど発揮されなかっただろう。

 プーシキンの問題原作に基づいて作曲されたリムスキー=コルサコフのオペラの方は、もともと、あまり大した曲ではない。日本でも何度か上演されたことはあるが、私はこれを聴いて面白いと思ったことが一度もないのだ。今夜も同様だった。
 モーツァルト役を歌ったエドガラス・モントヴィダスは、昨夜のレンスキーに続いての活躍。やや抑え気味の歌いぶりだったが、悪くない。
 しかし、サリエリ役のミハイル・シェロミアンスキーがあまり上手な人でなく、ただ物々しさを強調するだけの歌唱だったので、それもいけなかった。要するに、この役のバス歌手が凄みと嫉妬と苦悩とを十全に表現してくれないと、このオペラは救われないのである。

 1曲目と2曲目での指揮者への拍手は気の毒なほど少なかったのに、オペラでの歌手への拍手は不思議なほど大きい。ブラヴォーが飛び、口笛が鳴り、拍手はいつものように手拍子に変る。みんな、オペラだけ聴きに来たのかしらん?

 以上3曲で、終演は10時20分。
 外はおそろしく寒く、冷える。オペラ座を一歩出ると、たちまち屋外ステージのロック・コンサートの轟音に閉口させられる。この騒々しさは、土曜日夜だからか? これに比べれば、NHKホール周辺の街なかライヴの音量など、可愛いものである。
 リヨン滞在もあと1日、チャイコフスキーの「スペードの女王」を残すのみ。

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