2024-03

2010・5・16(日)リヨン日記最終日 チャイコフスキー:「スペードの女王」
キリル・ペトレンコ指揮 ペーター・シュタイン演出

 国立リヨン歌劇場  4時

 最終日は、2008年プレミエのプロダクション「スペードの女王」。
 S列からE列と来て、今日はA列――最前列の下手側の席となった。幸いなことに、ここは今回、ヴァイオリンやコントラバスが並ぶ側になっている。オーケストラに至近距離のこの位置では、音は非常に明晰に、しかも柔らかく聞こえる。

 「スペードの女王」は、「オネーギン」に比べればずっとオーケストラが劇的に鳴り渡る個所の多い曲だが、ペトレンコはここでも叙情的な要素を浮き彫りにし、作品の美しさを印象づけた。
 老伯爵夫人の死の場面でも、リーザの運河投身自殺の場面でも、いずれもオーケストラは劇的に咆哮することはない。しかし、音楽がむくむくと盛り上がってクライマックスに達するような個所でのペトレンコの「もって行き方」の巧さは、相変わらずである。

 歌手陣は、「マゼッパ」や「オネーギン」に登場している顔ぶれとほぼ同じ人たちが歌い演じる。それぞれが、全く異なる性格の役柄を巧みに演じ分けるさまが興味深い。

 まず、主人公の士官ゲルマン役は、ミーシャ・ディジャク。「マゼッパ」でのアンドレイの時とは別人のように明確な個性を発揮、暗くておとなしい青年軍人が次第に狂気に陥って行くという設定を、なかなか上手く表現した。
 この役、最近はガルージンのような、冒頭から「一種不気味な」雰囲気を感じさせる強烈なキャラクターの歌手でばかり見続けて来たので、こういう「純粋な青年」のイメージのゲルマンというのは、一寸新鮮に思えて面白かった。

 彼を愛したために破滅して行く女性リーザには、オリガ・グリュコーワ。彼女も、「マゼッパ」のマリヤの時より溌溂として、しかも気品があって、素晴しく美しい。マリインスキー劇場はいい歌手を次から次へと生み出したものだ、と感じさせる優れたソプラノである。

 しかし、もう呆気に取られるくらい感心させられたのは、老伯爵夫人を歌い演じたマリアンナ・タラーソワだった。
 「マゼッパ」でも「オネーギン」でも老け役を演じた彼女だが、ここでは凝ったメイクを施し、「魔女のように不気味な」傲慢で恐ろしい老女となって君臨する。そのあざとい演技と歌唱の、いや巧いのなんの。杖を突き、よろめきつつ権勢を振るう姿といい、ゲルマンに威嚇されてショック死する場面のリアルな恐怖の演技といい、何ともド迫力としか言いようがない。とてもこれが、ふだんカルメンや、プレツィオシッラ(運命の力)や、ダリラを歌っている若手とは思えないほどだ。
 十数年前、日本でカルメンを歌った時のタラーソワに、今日あるを想像できたであろうか。この人の芸域の広さを、如実に思い知らされた次第であった。

 その他、大御所的存在のプチーリンが、トムスキー伯爵を貫禄と滋味で歌い演じる。一昨日オネーギンを歌った若いマルコフは、今日はエレツキー公爵として、ラストシーンでは冷然たる怒りを以てゲルマンと対決する。ともに巧い。
 いや、歌手たちはみんな、とにかく芝居が素晴しい。欧米のオペラ歌手の大半は、ここまで細密な演技を研究しているのだ。日本のオペラ歌手も、ただ両手を拡げればいいと思っている大多数の人たちは、少しは見習って欲しいものである。

 ペーター・シュタインの演出は、これもストレートで読み替えはないが、演技の精密さで充実感を生む。群衆を「形」として動かすのが巧いということは、その場の主役を引き立たせるのが巧いということにも通じるわけだが、この日の舞台でもそれが見られた。
 一例を挙げれば、ラストシーンの賭博場の場面で――ここはとかく雑然とした光景に作られがちだが――失恋の痛手に陥りつつゲルマンへの復讐心を秘めて飲むエレツキー公爵、思い詰めたようにむっつりとした顔で賭け事に来た(これも普通の演出と異なる)ゲルマン、この2人の友人に温かい気遣いを示すトムスキー伯爵――の3人の存在を目立つようにして、ドラマの進行に明確なフォーカスを与えていたこと、などである。

 この最終場面では、よく行なわれるような「伯爵夫人の亡霊の登場」は、台本のト書きどおり、無い。無くても、因果応報が解るドラマであろう。
 その代わり、拳銃で自殺したゲルマンを、トムスキー伯爵が抱きかかえるようにして、その死を悼む。そもそもこの物語の初めで、トムスキー伯爵が面白おかしく「必勝の3枚のカードの秘密」の話をしなければ、ゲルマンはここまで道を誤らずに済んだのではないか? その起承転結を理解させる演出であった。
 奇想天外な「読み替え」ばかりが能ではない。ストレートな手法でも、このように掘り下げれば、論理的なドラマを描き出すことができるのである。

 4時に開演して、2回の休憩計50分と、場面転換の時間などを含み、終演は7時半頃。
 このオペラにしては短い上演時間だが、それは第2幕の牧歌劇の部分がカットされていたためもある。
 私はもともとカット反対主義だが、ここの部分は多少冗長で、しかもドラマの流れとは直接関係が無いので、まあ省略しても悪くないかな、とは思う。
 しかし考えてみると、この部分が演奏されないと、チャイコフスキーがこの幕冒頭などであからさまにモーツァルトをパロっている意味が正当に生かされず、ただイージーにパクっているように誤解される危険性を生じさせるのではないか、という心配が首を擡げて来ないでもない・・・・。

 外は未だ昼間のように明るいが、日曜日のためか、街なかは閑散としている。気温もだいぶ上がってきた。

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