2024-03

2010・5・23(日)
クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサート・オペラ形式「ペレアスとメリザンド」

   すみだトリフォニーホール  2時

 アルミンクと新日本フィルが展開している、セミ・ステージ形式の「コンサート・オペラ」シリーズ、今回はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」。藤村実穂子がメリザンドを歌うというのも話題だった。

 アルミンクが持つある種の自然で透明な音楽性――恣意的に歪めた構築も、あざとい情念の翳りもない音楽性からみて、このドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は、きっと成功を収めるであろうと予測していた。
 結果は、期待以上であった。これは、アルミンクと新日本フィルが展開して来たこれまでの「コンサート・オペラ」シリーズの中でも、最高の出来と言うべき演奏であろう。彼らが日本で演奏したオペラとしては、新国立劇場のピットに入って演奏した「フィレンツェの悲劇」と双璧の出来である。

 全曲に拡がる抑制された叙情味も素晴しかったが、稀に激しい感情が昂揚する場面――ゴローが妻メリザンドの密会を窓の外から息子に覗き見させる場面や、ペレアスとメリザンドがこれを最後と死の抱擁に身を投ずる場面などでの演奏の緊迫感も良い。アルミンクがこのような20世紀オペラで聴かせる劇的感覚は、いつもながら見事なものがある。
 そして、彼のもとで新日本フィルが創り出す、豊麗で馥郁とした響きが、今回の演奏を成功させていた何よりの要因であろう。
 オーケストラは、舞台上いっぱいに配置されていた。歌劇場と違って残響の多いコンサートホールでは、管弦楽の最弱音でさえ、たっぷりとした音色で鳴る。これが「ペレアス」の音楽を、その本来の性格にふさわしく、清澄透明で、しかも柔らかく官能的に再現してくれたゆえんである。

 他の歌手陣には、ペレアスにジル・ラゴン、その兄ゴローにモルテン・フランク・ラルセン、アルケル国王にクリストフ・フェル、ジュヌヴィエーヴにデルフィーヌ・エダン、イニョルドにアロイス・ミュールバッヒャー、医師に北川辰彦という顔ぶれ。
 いずれも安定して聴き応えのある歌唱だ。特に外国人勢はセミ・ステージとはいえ演技の表情も細密で、この「静的」なオペラにはこれだけで充分とまで言えるほどであった。

 唯一、これじゃ決まらないなと感じさせたのは、息子ゴローがメリザンドに暴行する狂態を見かねた父アルケル(フェル)が彼を制止する一言の迫力の無さで、――私はここでロバート・ロイドがMETでの上演の際に聞かせた「ゴロー!」という、絞り出すような悲痛な叫びが今でも忘れられないのだが、――まあ、それはそれ。

 ワグネリアン・メゾ・ソプラノとしてバイロイト他に君臨する藤村実穂子が、これほど見事なメリザンドを表現するとは、嬉しい驚きであった。今夜の歌手たちの中ではいちばん声量があり、またよく通る声なのだが、それを極めて叙情的にかつ明晰に駆使して、この役柄の謎めいた性格を描き出していたのである。
 無垢な妖精のような娘が、ペレアスとの恋を通じてみるみる「女」に変身して行き、第4幕第4場の愛の場面では情熱的な女性となる。そして、ペレアスの死のあとでは、再び物語冒頭と同じような、この世ならざる夢の中に生きる娘に戻ってしまう――そいういう過程を、歌唱と演技の両面でこれだけ巧く表現できたメリザンド歌手は、稀ではないかとさえ思われる。セミ・ステージという動きの少ない、抑制された空間の中での演技ゆえに、それが成功していたのであろう。

 今回の演出は、田尾下哲であった。オーケストラの前方と後方で登場人物が動き、若干の照明演出が効果的に使用される。
 最大の特徴は、背景の大きなスクリーンにモノクロの映像――森、林の中の湖、重苦しい城の中の一室などの光景を投影、霧や松明の火などの動画も組み合わせるといった、CGを最大限に活用した映像が多用されたことだ。
 この手法は、パリ・オペラ座の「トリスタンとイゾルデ」と共通している点もあるが、あれほどしつこくも、うるさくもない。あくまで作品の性格に応じた「静的で叙情的」なものだったのは正しい。中途半端な書割の舞台装置や小道具を使うよりは、私はこの映像利用の舞台を支持したい。

 もっとも、映画というものの視覚的効果は非常に強烈なものだから、動画の利用は、まかり間違うとあの「トリスタン」のように、音楽の印象を吹っ飛ばしてしまう危険性もある。
 今回で言えば、冒頭の神秘的な音楽が演奏されている際に、森や林の光景が移動して行く映像を目にすると、少し煩わしいなと感じないでもなかった。ただこれは、人により感じ方が違うだろう。メリザンドの長い髪が「塔の窓から流れ落ちる」場面には、そのイメージをかなり強く象徴した映像が現われ、これは強烈な効果を発揮した。

 大詰め、メリザンドの死の場面では、彼女だけが背景に独り佇み、男たち3人が舞台手前からそれを仰ぎ見るという構図で、これはすこぶる感動的なものであったが、ここで照明と背景の映像を一時完全に落してしまったのは解せず、一気に「裸の舞台」に戻されてしまったような印象を受けてしまった。
 また、彼女が息を引き取った後、巨大でリアルな(!)月の映像が「降りて来て、遠ざかる」のは、幻想的な物語が突然現代の宇宙科学と化したみたいで、どうも音楽のイメージとかけ離れたものになったようである。江川紹子さんが「かぐや姫みたいね」と笑っていたのは、言いえて妙かもしれぬ。
 
 ともあれ、すばらしい演奏会であった。休憩1回(第3幕後)を含め、5時30分頃終演。来年のこのコンサート・オペラは、「トリスタンとイゾルデ」である。

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