2024-03

2010・5・26(水)新国立劇場 R・シュトラウス:「影のない女」

  新国立劇場  6時

 故・若杉弘芸術監督の企画で、本来なら彼が指揮をする公演であった。R・シュトラウスこそ最も得意のレパートリーと自他共に許した人だ。振りたかったであろう。

 代わりに迎えられたエーリッヒ・ヴェヒターという人は、しかしなかなか面白い音楽をつくる指揮者だ。この数年来、デトモルト州立歌劇場の音楽監督に在任中とのことである。少しぶっきらぼうな指揮だが、モティーフの描き出し方は明快だし、骨太なタッチでドラマティックに豪快なダイナミズムを発揮する。

 ピットに入った東京交響楽団がよくこれに応えており――個々のソロには多少疑問もなくはないが――叙情的な個所では透徹した音色を創り上げる一方、カイコバートの動機などの不気味な個所では、轟くような低音をたたきつけた。
 この、R・シュトラウスのオペラとしては「エレクトラ」に匹敵する豪壮な曲想を、手際の良い均衡を以て再現したという意味で、ヴェヒターと東響は、実によくやったと思う。

 主役歌手陣の外国人勢は、極めてパワフルだ。皇帝のミヒャエル・バーバ、皇后のエミリー・マギー、乳母のジェーン・ヘンシェル、バラクのラルフ・ルーカス、バラクの妻のステファニー・フリーデ、いずれも劇的表現に秀でた歌唱と演技である。
 どちらかといえば女性陣が強い。声の峠は越したが相変わらず巧味のあるヘンシェルを軸に、マギーとフリーデがそれぞれ対峙して張り合った。

 最後の4重唱では声が拡散してしまい、オケに打ち消される傾向があったが、これは歌手たちが反響版のない、後方が広い舞台裏の空間になっている場所で歌わされていたためである。若杉弘が健在だったら、演出家に注文をつけて、絶対そのような位置では歌わせなかったであろうに――。

 その演出は、ドニ・クリエフ Denis Krief。
 みなさん絶賛しているようだが、私はどうもあまり賛同できない。観たところ彼の演出アイディアは、バラクの妻をヒロインとして浮彫りにした上で、夫バラク以外のすべての存在は単に彼女の欲求不満の感情から生み出された幻想に過ぎない――という設定で描くことにあるらしい。
 それ自体は非常に面白い発想ではあるが、実際の舞台はなかなかそのとおりには進まないようである。

 たとえば、バラクの家で起こるさまざまな怪奇現象――オリジナルでは、冥界の王カイコバートの意を体した乳母の魔力がそれを作り出すことになっているのだが、それをすべてバラクの妻の幻想と解釈させるのであれば、もっとそれを納得させるような演出が必要ではないか。第2幕の幕切れにおけるバラク家の瓦解の場面など、もしそれを単なる幻想として扱うなら、最後に独り大見得を切る乳母の役割は、ひどく曖昧になってしまう。

 しかも全曲大詰め、皇帝と皇后およびバラクとその妻がそれぞれ愛を取り戻す場面で、それまでバラバラだった壁が合体してバラクのマイホームとなり、その屋外で子供がジャンケンをして遊んでいる光景が出現するのは、なにか超自然的な心理物語がいっぺんにホームドラマと化してしまったような印象を与えるのだが、このホフマンスタールの台本は、そんな単純なお話なのであろうか?

 字幕も、少し解りにくい。簡略化するのはいいが、ドラマ全体を俯瞰するニュアンスで訳文を組み立ててくれないと、初めてこのオペラを観る人は、その言葉が物語全体の中でどのような意味を持っているのか、ピンと来ないのではないか。
 たとえば、ドラマの大転回のシーン、「飲めばバラクの妻の影を奪うことが出来、子供を生むことが出来る魔力を持つ黄金の水」を前に、他人の愛を奪うことを肯んじない皇后が最後に叫ぶ「私は――それを――望まない!」の一言だって、たしかにそれは正確な直訳ではあるが、前後の流れからすれば「私は――それを――飲みません!」としてくれた方が、彼女の決意の意味がストレートに理解しやすいだろう。

 結局、最後に残るのは、やはりこのオペラの音楽の「超越的な」素晴しさなのであった。R・シュトラウス万歳!と言いたくなるような音楽である。休憩2回を含み、終演は10時少し過ぎ。

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新国立劇場「影のない女」(5月29日鑑賞)

18年前にこの作品を聴いた時は「難解なオペラ」「第3幕を除くとなんとなくドタバタしたオペラ」との印象だった。18年振りに聴いた「影のない女」は何と美しい音楽なのだろうと終始うっとりしてしまった。「ばらの騎士」に繋がる音楽も随所に聞こえて、確かにリヒャルト・シュトラウスの音楽である。
18年間に自分自身がいろいろなものを観たり聴いたりする経験を積んだからそう感じるのか、あるいはそう感じさせるほどに上演の性格の違いがあったのか、恐らく両方だろう。

まず、ヴェヒター指揮東京交響楽団の演奏が素晴らしかった。綺麗過ぎるくらい綺麗な音楽であった。カーテンコールでも全てのカーテンコールが終わってから、1人の観客からの「オーケストラ、ブラボー!」の声でまた小さな拍手が自然発生的に沸き起こった。

歌手のレベルもまた高い。特に女声陣3名がそれぞれの存在感と声とで印象的。
皇后役のマギーは透き通った美しい声。バラクの妻役のフリーデは力強い声。乳母役のヘンシェルはキャラクターの明確な歌と演技。4頭身か5頭身というような体型もこの役に合っている。彼女のこの体型のためにオペラ全体が絵本から飛び出したような印象になった。

男性陣も悪かった訳ではない。バラク役のルーカスはなかなかの二枚目だし、歌も良く、今回の演出では特に頼りなさが感じられる訳でもないのでバラクの妻がなぜ嫌うのか分からないと思わせてしまう程。魅力があり過ぎという感じか。
皇帝役のバーバはノーブルなタイプで今回の銀色の衣装もよく似合ってスマート。この役は高音が多く、テノール泣かせの曲らしいが、主要な歌手5人の中ではこの日はバーバがやや物足りない。第1幕は高音が上がりきらず「最後にブーイングか出てしまうかも知れない」と思う程であった。第2幕、第3幕と進むにつれて改善したものの完全に満足するレベルではなかった。そこで、「いつも『主役は外国人、その他大勢は日本人』じゃなければいけないのか。1人くらい主要な役に日本人を入れて欲しいし、今回の公演では皇帝は日本人がやれば良かったのではないか」との思いがまた浮かんだ。
会場内で会った知人も同意見。「これで主役に1人でも日本人がいれば良いのに。日本の新国立劇場なのだから」とのコメントであった。
その日本人。今回、初めて聴いた霊界の使者役の平野和は出演の場面は少ないが、歌も良く存在感もあった。今後、何かを聴くチャンスをみつけたい歌手。

周辺の小さい役、合唱も魅力的で効果的であった。合唱はプログラムでは多くの人の名前が出ていたが、カーテンコールでは役のある人しか出てこなかった。彼らが合唱も担当していたのか、プログラムレベルの人数の合唱を使っていたのか、ここは不明なままだった。

この作品ではバラクの妻と皇后の台詞が入っている。18年前に聴いた時はそういうことは気付いていなかったが、この台詞部分は効果的というか印象的であった。

クリエフの演出は歌に集中させてくれるという点では良かった。ただし、ただ立って歌うという場面が多く、演出の特色が強く印象に残るという感じはなかった。だだっ広い空間の中で歌い、歌手にとって過酷だと思う場面もあった。

クリエフは今回、美術・衣装・照明も担当しているので、美術の特色は強く感じられた。皇帝の世界は高い石垣、バラクとその妻の家はバラバラになった家の断片で表現。場面はこの間を行ったり来たりするが、その都度、歌舞伎の黒子のように作業者が表に出て場面を転換させる。演出家は「この劇場には素晴らしい機構があり使いやすい」と記載していたが、新国立劇場の機構はほとんど使っていないとの印象。二つの世界を表現するなら、上下や前後など舞台を動かして表現すれば観客の驚きは増したのではないかと感じる。奈落、スライドステージをわずかに使用したくらい。黒子の使い方も「うまい」「工夫がある」というものではない。
実際、休憩時間に会った知人は「2つの世界は上下に動かして表現すれば良いのに」との意見を持っていた。
皇帝の世界の場面では欠けた月が掛かり、3日の間に弓張月が眉月になり、時間の経過を示していたのは面白い。馬、鷹などの動物が登場するが、これらは人間のサイズの針金細工で表現される。それを人が持つことで動物を表現していた。最後の場面ではこれらの動物(針金細工)が総登場して天井から下がっていた。このオペラのテーマは「自分の幸福のために人の幸福を犠牲にすることは出来ない」というものであるが、「人の幸福のために動物や自然を犠牲に出来ない」という生物多様性の表現であるという訳でもなさそうであり、何か意味付けがあるかというところは感じられなかった。

第2幕は一番聴き応えがあり、特に幕切れは非常に感動的で涙が出た。ここは直接的には「望まない結婚をして所有物の1つのような違和感を持っていた妻が夫に非難されてその力強さを見直す」という場面だから、女性の立場としては「納得が行くような、行かないような」という気分ではあるものの、音楽、演出、ホスマンスタールの台詞の持って行き方で感動させられてしまう。

バラバラだった家は最後に1つになる。休憩時間にお会いした知人に「第3幕ではパーツが繋がって家になる」と教えてもらった。第3幕では「今か、今か」という感じになってしまって、事前に知ってしまうと「感動する」というものではなった。「1つの完全な形になること=幸福」との意図は分かるが、おとぎ話の世界が一気に現実になるような、違和感の方が強かった。

オーケストラのサイズについて、休憩時間にオーケストラピットを見てびっくり。大音響になるのは第3幕の一瞬のみではないかと思うが、こんなに大きなオーケストラが必要だとは…。ワーグナーのオペラよりも大きいのではないか(過去最大は「軍人たち」か)。

今回の席は1列目中央で指揮者は目の前。事実、第2幕のお辞儀では目が合ってしまった。この席は字幕が読みにくいのが難点。幕が開いた時は「字幕を見ると舞台を見逃すし音楽も聞き逃しそうでもったいない。字幕を見ないことにしようか」と思ったものの、今回の字幕は短く簡潔でチラチラ見るだけで良く舞台の流れを見逃すことはなかった。「簡潔過ぎて説明不足」との考え方もあるかも知れないが私自身にとっては充分であり理解もし易かった。東条さん指摘の部分は同意見。最も感動する場面、台詞であるはずだが、ガクっと来てしまった。

この日、若杉弘の魂をぼんやりと感じながら観た。「鹿鳴館」も含めてシーズン最後までご自身の計画を練って実現させたことは観客としてはせめてもの歓びであるが、今も生きてお元気であれば、また違った演奏体験が出来たかも知れないとも感じた(もう少し、毒とかクセとかはあったかも知れない)。また、改めて、若杉さんが信念を持った人であったとも感じた。

今回の外国人歌手は2名が過去に新国立劇場の経験あり。他のメンバーは初めて。日本での仕事は本当にやり易いらしいので、また来日してくれるだろうと期待。カーテンコールでの歌手は満足の表情であった。
「影のない女」は日本では18年振りの上演であったが、2011年2月にはゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラが来日演目として取り上げる。短い期間に比較が出来るのは楽しみである。

最後に劇場へのお礼として…。
「拍手は幕が下りてから」の注意書き付きのチラシが配付され、良い鑑賞環境を提供してくれたのは非常にありがたいことであった。

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