2024-03

2010・6・13(日)旅行日記第8日 ケルンの「神々の黄昏」

 ケルン歌劇場  5時

 ライン河畔に権勢を張るギービヒ家の場面が、かつてヴォータンが君臨したヴァルハルの居間と同じ造り(模倣?)というアイディアには驚いたり、感心したり。
 赤色に白の横線の入った国旗もあり、国旗のポールが槍の役目をも果たす。一族の長グンターは勲章付の軍服を着用した司令官であり、私服のハーゲンは陰の実力者といった雰囲気を見せる。

 ラストシーンでは、この広間のあちこちに火炎が拡がり、それはゆっくりと舞台奥に遠ざかって行き(洪水もラインの女たちも出て来ない)、最後には舞台上からはあらゆるものが消滅するという展開になる。
 おそらくこの物語の中で最初と全く変らないのは、ゴミが散乱し続けるライン河畔(河は見えない)だけだろう。ラインの女たちは、物語冒頭と同じ、ホームレスのような姿のままである。もっともその光景の中で、ジークフリー トが子供の時に遊んだ玩具や揺篭がわりのボロ浴槽が棄ててあり、彼が一寸その中に入って見る、というシャレもあるのだが。

 演技の方は、もう少し論理的に作られている。第2幕でのハーゲン(マッティ・サルミネン)、グンター(アレクサンデル・マルコ=ブールメスター)、ブリュンヒルデ(エヴェリン・ヘルリツィウス)、ジークフリート(シュテファン・フィンケ)の、火花の散るような応酬の裡に複雑な心理の綾が描き出されるあたりは、なかなか細かい演出だった。

 もう一つ興味深かった新解釈は、ハーゲンに対するギビフング一族の反感が打ち出された点である。当主グンターを殺したハーゲンはただちに兵士たちに捕えられ、暴れながら室外に連れ出されてしまう――したがって彼の最後の言葉「指環に近づくな!」は、すでに闘争の局外者となった男が彼方で空しく放つ絶叫、という意味合いを持つことになる。ここは私が観たこれまでの演出の中では、最も論理的な解釈ではないかという気がする。
 カーセン演出、ケレンにあまりカネをかけられない部分を、精一杯アイディアで補った舞台といえようか。

 歌手陣は、他にオリヴァー・ツヴァルク(アルベリヒ)、アストリッド・ヴェーバー(グートルーネ)、ダリア・シェヒター(ヴァルトラウテ)ら。大部分は、シュテンツが轟々と響かせるオーケストラに声が霞みがち。
 フィンケは声こそ充分だが、表現に幅がなく単調になる傾向があるのが問題だ。ただし独特の発声が気に入らぬと文句を言うのはどうやら私だけらしく、客席は万雷の拍手とブラヴォーである。
 ヘルリツィウスも時々音程が不安定になるのは「ヴァルキューレ」の時と同様だが、しかしよく最後まで声を保たせた。「ブリュンヒルデの自己犠牲」の後半では一度幕が下ろされ、彼女が幕の前で歌うという演出が採られていて、これは歌手の声の疲れを良い形でカバーするという利点もある手法だろう。
 大ベテランのサルミネンは流石に少し年齢を感じさせるようになったが、やはり風貌にも声にも凄みがあり、千両役者であることには変わりない。

 マルクス・シュテンツの指揮は、これまでは殺風景以外の何物でもないなどと毛嫌いしていたのだけれど、今回「ニーベルングの指環」を通して聴いて、彼のワーグナー・アプローチもそれほど悪くないな、という印象に変って来た。
 いわゆる情感のうねりのない、禁欲的で素っ気ない演奏ではあるが、彼がオーケストラから引き出す音は明晰で、ワーグナーの響きを「夜と霧」的なものにせず、入り組むモティーフ群を冷徹に浮かび上がらせるという特徴を感じさせるのもたしかである。重厚さは皆無で、白色の光を浴びた現代建築のようなイメージを持つ音色のワーグナー、というところだろうか。

 彼が採るテンポは、遅い個所では極端に遅いが、速い所では相当速い。「ヴァルトラウテの物語」などエッティンガーなみの遅さだが、「ジークフリートのラインへの旅」などは嵐のように速い。
 しかしよく聴いてみると、ワーグナーの音楽上の劇的構成――昂揚と沈静の大きな周期での交替、それに呼応するテンポの「緩・急・緩」の交替という構成を、シュテンツもよく認識し、それなりに演奏を纏めていることが解る。

 序幕でジークフリートとブリュンヒルデが二重唱の最後の高音を朗々と引き延ばす(ここは2人とも良かった)瞬間に管弦楽が怒涛の如くクレッシェンドし、轟然と「ジークフリートのラインへの旅」に突入するあたりの呼吸などは、今回のシュテンツの指揮、すこぶる見事なものがあった。
 この長大な「神々の黄昏」を、決して長く感じさせなかったのは、これらの特徴を備えたシュテンツの指揮のためでもあろう、という認識に私も立ち至った次第である。それに加え、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の力量が何よりすばらしかった。

 10時25分演奏終了。ツィクルスの最後とあって、カーテンコールもそのあと15分近くに及んでいた。
 これで、ケルンでの全日程を完了。明日は再びウィーンに移る。

コメント

こんばんは。

多くの日本人には、あちらの「カペルマイスター」「叩き上げ」の力量はわからないでしょう。あちらは教育の「土壌」が違うんですよ。ハイティンク、ブロムシュテットなどをみていると、つくづく西洋の伝統を感じます。「世界一の音楽大国」は日本でも、その音楽の「教育」においては世界最低ですね。「芸大か桐朋か」なんてバカみたいな議論をいつまでもしてるんですから。

シュテンツは評論家が喜ぶようなことは「何もしない」指揮者ですから、一聴「凡庸なやつ」と思われがちです。しかし、無味乾燥に思える演奏ほど注意すべきなのです。日本の上岡敏之のようにゴテゴテ装飾しているうちは二流なのです。

ハウシルト、ボッセなども要注意ですな。かつてのヴァントの境地に近づきつつあるような気がします。シュテンツはNHK響に来ますが、どうでしょうか?初客演では、馬が合わないと「公務員演奏」をしますからな。あのオケは。

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