2024-03

2010・6・21(月)イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団

   東京オペラシティコンサートホール  7時

 メイン・プログラムはブラームス。

 冒頭の「ハンガリー舞曲」(第7番=イヴァン・フィッシャー管弦楽編曲、第10番=ブラームス管弦楽編曲)の、あまりにユニークな、ロマ(ジプシー)音楽風の演奏に面食らっている間に、ヨーゼフ・レンドヴァイが登場して「ヴァイオリン協奏曲」を弾き始める。

 これがまた実に風変わりな演奏なので、呆気に取られたり、感心したりしながら聴き入った。
 風変わり――といっても、なるほどと思わされたところが多いのであって、つまりハンガリーの演奏家が、ブラームスの音楽の中にあるハンガリーあるいはロマの要素をふつう以上に浮彫りにしてみせた、ということなのである。ドイツ人が演奏するのとは全く異なった容貌のブラームスが立ち現れるのは当然であろう。

 レンドヴァイの奔放な演奏スタイルは、それを情熱的に、見事に語って行く。
 一見突拍子もない演奏に思えるけれども、ブラームスという作曲家が持っているある側面から見れば、決して勝手な作品歪曲でもなんでもないのだ。レンドヴァイがプログラム掲載のインタビュー(中村真人氏による)で語っていることを読めば、彼の演奏には確固たる根拠と信念があることをも理解できるだろう。
 規定概念を覆し、作品から新鮮な側面を引き出してくれるこのような演奏に出会えるから、コンサート通いは面白い。

 後半の「第4交響曲」も、前半の演奏を伏線として入ったかのように、フィッシャーの指揮もきわめてユニークなものだった。
 噴出する激しい感情を、かくも赤裸々に吐露した「第4番」の演奏も珍しいだろう。第4楽章でフルートのソロが消え、「TempoⅠ」に戻ったあとの、終結にかけての音楽の荒々しい殺到は、「人が変わったようなブラームス」とでも表現したらいいか。

 リズムもアクセントも、スコアに指定されているものより遥かに強烈で、刺激的でさえある。
 といって、それは決して野放図にはならないのだ。第1楽章終結で、激情のままに突進し、もはや歯止めが利かなくなるかと思わせながらも、最終のホ短調和音のフェルマータの最後で感情を抑制し、すっと力を抜いて終らせるあたりの芸の細かさたるや、見事なワザであった。

 こういう演奏のトドメとして、イヴァン・フィッシャーとオーケストラは、アンコールではロッシーニの「楽器の助奏を伴う変奏曲ヘ長調」と、バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」の中の「ルーマニア風ポルカ」および「急速な踊り」を、実に派手に演奏してみせた。
 前者ではソロ・ヴァイオリン2本のパートを、コンマスの他に第1ヴァイオリン第2プルト外側の奏者と、同第4プルト外側の奏者、それにその時だけ飛び出して来たレンドヴァイ(弾き終わると袖に逃げ込み、聴衆を爆笑させた)にも順番に弾かせるという細かい演出。  
 そしてバルトークは、他の演奏家たちによるものとは全く異なる、激烈なリズムとアクセントをつけた多彩華麗な演奏。

 なおレンドヴァイは、協奏曲のあとでパガニーニの「パイジェッロの『水車屋の娘』の『わが心もはやうつろになりて』による変奏曲」を弾いたが、これも途中で主題が「さくらさくら」に変わるという新趣向の織り込まれた愉快なものであった。

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